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[1,92011,1,"栃木県","宇都宮市","靄厓山人碑","アイガイサンジンヒ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","観専寺","栃木県宇都宮市材木町6-11","",36,139,"","",1,"基","","観専寺","1966-01-31T00:00:00","","","","","","","高久靄厓は、江戸時代後期の南画の大家で、その作品の多くは、県や市の文化財に指定されている。","","高久靄厓(たかくあいがい)〔1796~1843〕は、江戸時代後期の南画(山水画のひとつ)の大家である。那須郡杉渡土(現在の黒磯市越堀)の農家に生まれ、27歳のときに江戸へ出て、渡辺崋山らとともに谷文晁(たにぶんちょう)の門人として才能を発揮し、その作品の多くは、県や市の文化財に指定されている。石碑は、1855(安政2)年、観専寺の黙雷上人(もくらいしょうにん)が建てたものであり、靄がいの人物・交友・業績などを明らかにしている。昭和41・1・31市指定<有形文化財(考古資料)>","","",""],
[3,92011,3,"栃木県","宇都宮市","赤門のさくら","アカモンノサクラ","","","市指定天然記念物","","慈光寺","栃木県宇都宮市塙田1丁目3-3","",36,139,"","",1,"本","","慈光寺","1992-03-23T00:00:00","","","","","","","市内で最も早く咲く彼岸ザクラで、春を告げるサクラとして親しまれている。","","参道の石の欄干に食い込むように立っているヒガンザクラで、市内では最も早く咲くサクラである。例年、3月下旬から4月上旬にかけて見事な濃いピンクの花を開き、春を告げるサクラとして市民に親しまれている。1999(平成11)年、治療により支柱が加えられた。平成4・3・23市指定<天然記念物>","","",""],
[4,92011,4,"栃木県","宇都宮市","旭町の大いちょう","アサヒチョウノオオイチョウ","","","市指定天然記念物","","","栃木県宇都宮市中央1丁目9-8","",36,139,"","",1,"本","","宇都宮市","1957-10-04T00:00:00","","","","","","","宇都宮城ゆかりの名木で、樹齢約400年と推定され、宇都宮市民のシンボルとなっている。","","大いちょうは、宇都宮城の三の丸と百間堀(ひゃっけんぼり)の境の土塁の上にあり、宇都宮城ゆかりの名木である。樹齢約400年と推定され、宇都宮市民のシンボルとして多くの人々に愛されている。昭和32・10・4市指定<天然記念物>","","",""],
[7,92011,7,"栃木県","宇都宮市","石那田八坂神社天王祭付祭屋台","イシナタヤサカジンジャテンノウサイツケマツリヤタイ","","","市指定民俗文化財","","","栃木県宇都宮市石那田町646他","",36,139,"","",1,"式","","地域共有","2006-03-24T00:00:00","","","","","","","この天王祭は、数年に一度、7月17日~24日の期間行われ、地元6地区の屋台が繰り出す。","","天王祭は、病気除けとして行われる牛頭天王(ごずてんのう)の祭である。石那田八坂神社では、数年に一度、7月17日~24日まで行われる。付祭は24日の夜に行われ、猿田彦(天狗)を先頭に、神輿・6地区(桑原・六本木・原坪・岡坪・仲根・坊村)の屋台が御仮屋(おかりや)から神社へと繰り出す。屋台は、江戸時代の終わりから明治時代にかけて作られた彫刻屋台で、彫刻は富田(現・大平町)に住んでいた磯邊敬信や後藤正秀、神山政五郎らの手によるものである。昭和49・3・1市指定<民俗文化財>","","",""],
[9,92011,9,"栃木県","宇都宮市","宇都宮高校旧本館","ウツノミヤコウコウキュウホンカン","","","登録有形文化財","建造物","栃木県立宇都宮高校","栃木県宇都宮市滝の原3丁目5-70","",36,139,"","",1,"棟","","栃木県","1998-07-23T00:00:00","","","","","","","栃木県内最古の学校建築で、当時、この本館が全国中学校のモデルになっていた。現在は宇都宮高校の教育資料の展示場所として一般公開している。","","寄棟造の大屋根を架けた栃木県内最古の学校建築。元は敷地西側の正門正面にあったが、昭和43年及び昭和63年の2回の曳家を経て、現在は敷地の東端にある。1階には事務室・職員室・校長室などがあり、2階は広い講堂が大部分を占め、また、木材は日光杉並木の杉板を用いていると言われている。当時、この本館が全国中学校のモデルになっていたが、現在は滝の原会館として宇都宮高校の歴史を中心とした教育資料の展示場所として一般に公開している。なお、外壁が白いペンキで塗られているところから『白亜館』とも呼ばれ親しまれている。<平成10・7・23国登録有形文化財>","","",""],
[10,92011,10,"栃木県","宇都宮市","宇都宮城主戸田氏の墓所","ウツノミヤジョウシュトダシノボショ","","","市指定史跡","","英巖寺児童公園","栃木県宇都宮市花房本町2-7","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1971-02-24T00:00:00","","","","","","","英巌寺は戸田氏の墓所であったが、戊辰戦争で焼失、現在は公園になっており、その一角に墓碑が建つ。","","戸田氏の墓所である英巌寺は、1711(宝永8)年に戸田忠真が宇都宮に入城した時に建てられたが、戊辰戦争で焼失して以来廃寺となってしまった。元々、墓はなく、位牌堂があった。ここに残る戸田氏の墓碑は、1908(明治41)年に東京牛込の松源寺(しょうげんじ)が移転になる際、同寺からこの地に改葬した際に建てられたもので、戸田氏の9代宇都宮城主忠恕(ただゆき)と、10代忠友だけが単独墓、他は合葬碑で、忠真の前に3代が加えられ11名となっている。昭和46・2・24市指定<有形文化財(史跡)>","","",""],
[11,92011,11,"栃木県","宇都宮市","宇都宮聖ヨハネ教会聖堂","ウツノミヤセイヨハネキョウカイセイドウ","","","市指定有形文化財","建造物","宇都宮聖ヨハネ教会聖堂","栃木県宇都宮市桜2丁目3-27","",36,139,"","",1,"棟","","宗教法人日本聖公会北関東教区","2012-06-22T00:00:00","","","","","","","鉄筋コンクリート造、外壁に大谷石を用い、全体的に簡素であるが、内部はリズミカルな空間を創出している。","","鉄筋コンクリート造りの教会堂で、礼拝堂部の架溝はシザートラスとなっている。聖公会の建物らしく全体に簡素であるが、内部は梁組みがリズミカルな空間を創出している。外部は大谷石を外壁全体に用い、礼拝堂の北東部に柱状の突出部を作っている角形平面の塔屋がアクセントとなっている。内外部の扉や窓部はすべてオリジナルで、当時の雰囲気を見事に現在へ伝えている。平成24・6・22市指定<市指定文化財>","","",""],
[12,92011,12,"栃木県","宇都宮市","宇都宮中央女子高校赤レンガ倉庫(旧第六十六歩兵連隊倉庫)","ウツノミヤチュウオウジョシコウコウアカレンガソウコ(キュウダイロクジュウロクホヘイレンタイソウコ)","","","登録有形文化財","建造物","栃木県立宇都宮中央女子高校","栃木県宇都宮市若草2丁目2-46","",36,139,"","",1,"棟","","栃木県","2000-04-28T00:00:00","","","","","","","1907年に宇都宮への旧陸軍第14師団設置に伴い建設。戦後、県立宇都宮中央女子高校が移転し、現在は多目的ホールとして使用されている。","","この倉庫は、1907(明治40)年の宇都宮への旧陸軍第14師団設置に伴い、歩兵第66連隊の厨房関係施設として建設された。その後、66連隊の廃止により栃木県師範学校に引き継がれ、戦後は県立中央女子高が移転した。平成14年に改修が行われ、現在は多目的ホールとして使用されている。建物は、切妻造・平屋建で、外壁がイギリス積み煉瓦造、小屋組は木造トラスである。宇都宮に残る軍事関係施設のうち、唯一の明治期の建物である。<平成12・4・28国登録>","","",""],
[13,92011,13,"栃木県","宇都宮市","英巌寺のイヌツゲ","エイガンジノイヌツゲ","","","市指定天然記念物","","英巖時児童公園","栃木県宇都宮市花房本町2-7","",36,139,"","",1,"本","","宇都宮市","1972-12-08T00:00:00","","","","","","","英巌寺は戊辰戦争で焼失したが、このイヌツゲが当時の様子を偲ばせる。5~6月に小さな白い花が咲く。","","英巌寺は、1868(慶応4)年の戊辰戦争で焼失し、現在はイヌツゲだけが当時の様子を偲ばせてくれる。イヌツゲは、モチノキ科の木で、日本のほか中国に見られる。雄株と雌株の区別があり、5~6月に小さな白い花が咲く。普通あまり大きくならないので、庭木として利用され、このような大きなイヌツゲは大変に珍しい。昭和47・12・8市指定<天然記念物>","","",""],
[15,92011,15,"栃木県","宇都宮市","延命院地蔵堂","エンメイインジゾウドウ","","","市指定有形文化財","建造物","延命院","栃木県宇都宮市泉町4-30","",36,139,"","",1,"棟","","延命院","1961-10-04T00:00:00","","","","","","","江戸時代享保年間の建築で、宇都宮城内の拡張により現在地に移された。現存する市内最古の木造建築といわれる。","","元々、城内にあった延命院は、宇都宮城主本多正純の城内拡張と町割りによって現在地へ移されたという。地蔵堂は、享保年間に芳賀郡田野辺村(現市貝町)の宮大工永野万右衛門が建築したもので、市内で最も古い木造建築といわれている。入母屋風の二重屋根(現在は瓦茸であるが以前は石茸)で、基礎は大谷石を二重積みにして土台に利用した珍しいもので、斗拱(ときょう)・欄間等にみられる彫刻は、特に優れたものと言われている。木造平家建・三間四面。<昭和36・10・4市指定> また、堂内には全身金箔の木造地蔵菩薩立像が安置され、毎月24日の縁日に開帳されている。<昭和28・11・10県指定>","","",""],
[16,92011,16,"栃木県","宇都宮市","延命院のトチノキ","エンメイインノトチノキ","","","市指定天然記念物","","延命院","栃木県宇都宮市泉町4-30","",36,139,"","",1,"本","","延命院","1975-03-25T00:00:00","","","","","","","樹齢約350年、樹高約18mの巨木で、平成元年に「とちぎの名木100選」に選出","","トチノキは、山地に生える落葉高木で、大きいものは高さ35m、直径4mにもなるといわるが、ここのトチノキは、樹齢約350年、樹高約18m、周囲約3.4mで、平地でこの大きさになるのは珍しく、1989(平成元)年「とちぎの名木100選」に選ばれた。昭和50・3・25市指定<天然記念物>","","",""],
[19,92011,19,"栃木県","宇都宮市","大谷磨崖仏(石造 千手観音立像 一・石造 伝 釈迦三尊 三・石造 伝 薬師三尊 三・石造 伝 阿弥陀三尊 三) ","オオヤマガイブツ(セキゾウセンジュカンノンリュウゾウ イチ・セキゾウデンシャカサンゾンゾウ サン・セキゾウデンヤクシサンゾンゾウ サン・セキゾウデンアミダサンゾンゾウ サン)","","","特別史跡・重要文化財・名勝","","大谷寺","栃木県宇都宮市大谷町1198","",36,139,"","",10,"体","","大谷寺","1967-06-30T00:00:00","","","","","","","通称「大谷観音」の名で知られる石造千手観音菩薩立像・石造伝釈迦三尊像・石造伝薬師三尊像・石造伝阿弥陀三尊像の10体である。","","通称「大谷観音」の名で知られる石造千手観音菩薩立像・石造伝釈迦三尊像・石造伝薬師三尊像・石造伝阿弥陀三尊像の10体である。中でも千手観音像は、弘法大師一夜の作と伝えられ、構造から見ると、先ず岩壁面に大体の像容を荒彫りに刻み、その表面に粘土を着せたもので、石心塑造ともいうべき珍しいものである。像全体を細部に至るまで、粘土を着せて整えてからは、その上に漆下地を施して補強し、さらに色彩をして完成したものである。","","",""],
[23,92011,23,"栃木県","宇都宮市","おしどり塚","オシドリヅカ","","","市指定史跡","","","栃木県宇都宮市一番町1-19","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1964-05-28T00:00:00","","","","","","","鎌倉時代に、無住法師が書いた「沙石集」にある物語の旧跡地で、おしどり塚児童公園内に、塚の由来を記した碑が建つ。","","鎌倉時代に、無住法師が書いた「沙石集」によって紹介された物語の旧跡地である。塚の遺跡は、おしどり塚児童公園の東北隅にあり、付近は花木、石等によって整備されているほか、塚の由来を記した碑も建てられている。内容は、求喰川(あさりがわ)を舞台とした一つがいのおしどりと漁師のいきさつと建碑にいたる経過を記している。なお、この碑の建立は1894(明治27)年。昭和39・5・29市指定<記念物(史跡)>","","",""],
[26,92011,26,"栃木県","宇都宮市","およりの鐘","オヨリノカネ","","","市指定有形文化財","","宝蔵寺","栃木県宇都宮市大通り4丁目2-12","",36,139,"","",1,"口","","宝蔵寺","1984-03-21T00:00:00","","","","","","","元は宇都宮氏の滅亡により廃寺となった東勝寺にあったもので、江戸時代、夕暮れに鳴らされたことから「およりの鐘」として親しまれた。","","この鐘は、高さ117cm、口径81cm、宇都宮氏の滅亡によって廃寺となった東勝寺(日野町通り北側一帯の地)にあったものである。江戸時代には夕暮れになると鳴らされたため、「およりの鐘」として親しまれた。「おより(御寝り)」とは「お休みになる」の意味である。鋳造年代は不明であるが、鐘の中帯に宇都宮氏の家紋「三つ巴」が20個ほどついているため、宇都宮氏の寄進によるものと思われる。この鐘は、その後、様々ないきさつをたどり、1944(昭和19)年、宝蔵寺へ移され今に至っている。昭和59・3・21市指定<有形文化財(歴史資料)>","","",""],
[27,92011,27,"栃木県","宇都宮市","カトリック松が峰教会","カトリックマツガミネキョウカイ","","","登録有形文化財","建造物","カトリック松が峰教会","栃木県宇都宮市宇都宮市松が峰1丁目1-5","",36,139,"","",1,"棟","","カトリック浦和教区","1998-12-11T00:00:00","","","","","","","昭和7年建築の大谷石造聖堂。日本では数少ない双塔を持ち、ロマネスク様式の装飾も随所に見られる。","","設計者のマックス・ヒンデルは大正末期から昭和初期まで日本に滞在し、函館市のトラピスティヌ修道院などを設計した人物である。この教会の設計にあたっては、故郷のスイス最大のロマネスク建築であるグロスミュンスター大寺院を思いながら、地元の大谷石を用いたと言われている。日本では数少ない双塔を持ち、大谷石外壁のそこかしこにロマネスク様式の装飾を入れている。昭和20年の宇都宮空襲において、屋根と礼拝堂が被災し焼失してしまったが、戦後すぐに復元を果たした。<平成10・12・11国登録>","","",""],
[32,92011,32,"栃木県","宇都宮市","蒲生君平勅旌碑","ガモウクンペイチョクセイヒ","","","市指定史跡","","","栃木県宇都宮市花房3丁目3-35","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1961-09-18T00:00:00","","","","","","","蒲生君平の功績をたたえ、明治天皇の勅命により建立されたもの","","蒲生君平は、高山彦九郎・林子平とともに「寛政の三奇人」の1人といわれ、1768(明和5)年に旧新石町に生まれた。歴代天皇の御陵を調査した『山陵志』を著し修復の必要性を説き、また、朝廷の官職についてまとめた『職官志』の著者として有名である。この碑は、蒲生君平の著書や行いが明治維新に大きな功績があったとして、明治天皇の「君平のひととなりはまことに立派であるから、これを広く天下に表して庶民に知らせるように」との勅命により、藩知事戸田忠友が奉行として、宇都宮の入口であるこの地に建てたものである。内容は「この地が蒲生君平の里である」というもの。君平は、1813(文化10)年に46歳で没した。昭和36・9・18市指定<記念物(史跡)>","","",""],
[33,92011,33,"栃木県","宇都宮市","瓦塚古墳","カワラヅカコフン","","","市指定史跡","","","栃木県宇都宮市長岡町1182-4","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1995-03-22T00:00:00","","","","","","","6世紀後半頃に造られた前方後円墳。付近にはかつて40基を超える円墳が存在し、市内最大規模の古墳群を形成している。","","瓦塚古墳は、前方部を南西に向けた前方後円墳で、周囲を見下ろすような丘陵の上に築かれている。付近にはかつて40基を超える円墳が存在し、宇都宮市内では最大の古墳群を形成している。1898(明治31)年に発掘調査が行われ、埋葬施設の横穴式石室から、武器・馬具・装身具等が出土し、古墳の裾部あたりからは、円筒埴輪や人物・馬などをかたどった形象埴輪が出土している。これらの遺物により、6世紀後半頃に築かれたものと思われる。平成7・3・22市指定<記念物(史跡)>","","",""],
[37,92011,37,"栃木県","宇都宮市","旧篠原家住宅(主屋・新蔵・附南北石塀)","キュウシノハラケジュウタク(オモヤ・シングラ・ツケタリナンボクイシベイ)","","","重要文化財","建造物","","栃木県宇都宮市今泉1丁目4-33","",36,139,"","",2,"棟","","宇都宮市","2000-05-25T00:00:00","","","","","","","宇都宮で有力な商家であった旧篠原家の住宅で、明治28年建築の、大規模かつ豪壮な造りの典型的な豪商の家","","篠原家は、昭和戦前まで醤油醸造業・肥料商を営んでおり、宇都宮でも有力な商家の一つであった。旧篠原家住宅は、1895(明治28)年に建てられ、店舗と住居部分を一体化した蔵造りになっている。江戸期から明治期にかけて、商家では防火を意識した店構えなどから土蔵造りが流行したが、この住宅は規模が大きく、大黒柱や梁など構造部分の造りも豪壮で、財力に十分なゆとりのある商人のみが造り得たものであり、典型的な豪商の家の造りである。<平成12・5・25国指定重要文化財>","","",""],
[41,92011,41,"栃木県","宇都宮市","けやき ","ケヤキ ","","","県指定天然記念物","","智賀都神社","栃木県宇都宮市徳次郎2478","",36,139,"","",2,"本","","智賀都神社","1954-09-07T00:00:00","","","","","","","智賀都神社の参道の両側に立ち、2本とも、高さ約40m、樹齢約700年と言われる。","","この2本のけやきは、徳次郎智賀都神社の参道の両側に立っており、樹高は2本とも約40m、目通り周囲は東側の株約8m、西側の株約7.3mで、樹齢は約700年といわれている。西側の株は天に向かい、東側の株は天を受けるように枝を広げている。昭和29・9・7県指定<天然記念物>","","",""],
[42,92011,42,"栃木県","宇都宮市","光明山摂取院寶蔵寺不動堂(観音堂)","コウミョウザンセッシュインホウゾウジフドウドウ(カンノンドウ)","","","市認定建造物","建造物","宝蔵寺","栃木県宇都宮市大通り4丁目2-12","",36,139,"","",1,"棟","","宝蔵寺","2003-03-27T00:00:00","","","","","","","1788年創建と言われ、小規模であるが彫刻類等が豊富で、仏堂建築として優れた価値がある。","","光明山摂取院寶蔵寺不動堂(観音堂)は、市認定建造物制度施行(平成14・10・1)後、認定建造物第1号に認定した建造物である。創建が1788(天明8)年といわれるこの不動堂は、唐様を基調とし、絵様や建具など中世以降から伝えられる建築技術を踏襲し、小規模にしては彫刻類も豊富で、仏堂建築として見るべき建築要素を数多く含んでおり、意匠的に優れた価値を有する建造物である。<平成15・3・27市認定>","","",""],
[44,92011,44,"栃木県","宇都宮市","広琳寺のシダレザクラ ","コウリンジノシダレザクラ ","","","市指定天然記念物","","広琳寺","栃木県宇都宮市平出町1673","",36,139,"","",1,"本","","広琳寺","1973-03-20T00:00:00","","","","","","","地上約5mの高さで4本の枝に分かれた、傘型の見事な樹形が見られる。","","広琳寺のシダレザクラは、高さ約12m、目通り周囲約2mで、地上から約5mの高さで4本の枝に分かれ、傘型の見事な樹形をしている。樹勢は良好で、毎年4月にたくさんの花を咲かせる。昭和48・3・20市指定<天然記念物>","","",""],
[46,92011,46,"栃木県","宇都宮市","権現山古墳","ゴンゲンヤマコフン","","","市指定史跡","","","栃木県宇都宮市岩本町464他","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1977-12-12T00:00:00","","","","","","","6世紀半ば頃に築かれた北山古墳群最大の前方後円墳で、市内最古級の横穴式石室をもつ","","権現山古墳は、前方部を南西に向けて築かれた前方後円墳で、北山古墳群の中で最大、古くは塚穴と呼ばれ、宇都宮市内では最も古い横穴式石室の一つといわれている。1986(昭和61)年、後円部の横穴式石室が発掘調査され、割石で築かれた長大な埋葬施設であることが明らかにされた。横穴式石室の特徴や出土した円筒埴輪・馬形埴輪から、6世紀半ば頃に築かれたものと思われる。昭和52・12・12市指定<記念物(史跡)>","","",""],
[47,92011,47,"栃木県","宇都宮市","金剛定寺のカヤ ","コンゴウジョウジノカヤ ","","","県指定天然記念物","","金剛定寺","栃木県宇都宮市上桑島町1041","",36,139,"","",1,"本","","金剛定寺","1988-12-26T00:00:00","","","","","","","県内でも珍しい樹高約19mの巨木","","カヤは、本州の関東以西から九州にかけて自生する常緑高木である。金剛定寺のカヤは、樹高が約19mに及ぶ巨木で、広大な樹冠を持ち均整の取れた姿をしている。このような大木は少なく、県内でも珍しい。昭和63・12・27県指定<天然記念物>","","",""],
[53,92011,53,"栃木県","宇都宮市","山門","サンモン","","","市指定有形文化財","建造物","清泉寺","栃木県宇都宮市下小倉町1529","",36,139,"","",1,"棟","","清泉寺","1993-10-01T00:00:00","","","","","","","欅材の四脚門で、四方の柱上部に獅子頭、虹梁中央部に通称「力持ちの像」がある。","","清泉寺入口にある欅材の四脚門で、四方の柱上部に獅子頭があり、組物としては薬師堂と同じ枡組構造となっており、虹梁中央部に通称「力持ちの像」がある。<平成5・10・1市指定>","","",""],
[60,92011,60,"栃木県","宇都宮市","祥雲寺のシダレザクラ","ショウウンジノシダレザクラ","","","県指定天然記念物","","祥雲寺","栃木県宇都宮市東戸祭1丁目1-16","",36,139,"","",1,"本","","祥雲寺","1957-06-30T00:00:00","","","","","","","江戸時代初期に本堂再建の記念として植えられた、樹齢約300年の県内を代表するシダレザクラの巨木","","このシダレザクラは、江戸初期の明暦年間(1655年~1658年)、祥雲寺本堂再建の記念として植えられたものという。1948(昭和23)年、本堂の火災の折、枝の北側の一部が焼失したが、1974(昭和49)年、枯れた部分を切り取り、根元に肥料を施したところ、近年見事に花をつけるようになった。開花は3月下旬頃で、樹齢約300年、樹高約7m、目通周囲約5mの県内では代表的なシダレザクラの巨木である。昭和32・8・30県指定<天然記念物>","","",""],
[61,92011,61,"栃木県","宇都宮市","成願寺のいちょう ","ジョウガンジノイチョウ ","","","市指定天然記念物","","成願寺","栃木県宇都宮市西刑部町1133","",36,139,"","",1,"本","","成願寺","1958-01-24T00:00:00","","","","","","","鎌倉時代の武士・安達藤九郎盛長が植えたという伝説のある樹高約30mの巨木","","このイチョウは樹高30mに及ぶ巨木で、老木のため乳(ちち)という大きな気根(きこん)がたくさん垂れ下がっている。鎌倉時代の武士・安達藤九郎盛長が植えたという伝説がある。昭和33・1・24市指定<天然記念物>","","",""],
[62,92011,62,"栃木県","宇都宮市","生福寺宝篋印塔","ショウフクジホウキョウイントウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","生福寺","栃木県宇都宮市仲町2-17","",36,139,"","",1,"基","","生福寺","1998-04-27T00:00:00","","","","","","","1763年に製作され、昭和20年の宇都宮空襲で損傷したが、平成9年に再建","","宝篋印塔とは、宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を納めた供養塔である。本塔は、1763(宝歴13)年、宇都宮の鋳物師(いもじ)である戸室元蕃(とむろげんば)によって製作されたものである。1945(昭和20)年7月の宇都宮空襲により、相輪と笠が破損したが、1997(平成9)年7月に本堂前に再建された。平成10・4・27市指定<有形文化財>","","",""],
[63,92011,63,"栃木県","宇都宮市","白沢甲部彫刻屋台","シラサワコウブチョウコクヤタイ","","","市指定民俗文化財","芸能","","栃木県宇都宮市白沢町","",36,139,"","",1,"輌","","地域共有","1990-12-06T00:00:00","","","","","","","1833年製作の黒漆塗彩色彫刻屋台。獅子や龍の彫刻が施され、これらの眼にはガラス玉がはめ込まれており、全国的にも珍しいと言われている。","","1833(天保4)年に製作されたこの時代の一般的な形式の黒漆塗彩色彫刻屋台である。明治3年に一度手直しされていることから、製作当時は白木屋台であったことも考えられる。鬼板と懸魚(げぎょ)には獅子、正面飾柱には龍の彫刻が施され、これらの眼にはハメ込みのガラス玉が用いられ、全国的にも珍しいと言われている。また、全部で12枚になる外障子・内障子には、十二支の彫刻が施されており、それがこの屋台の特徴ともなっている。<平2・12・6市指定>","","",""],
[64,92011,64,"栃木県","宇都宮市","白沢南彫刻屋台","シラサワミナミチョウコクヤタイ","","","市指定民俗文化財","芸能","","栃木県宇都宮市白沢町","",36,139,"","",1,"輌","","地域共有","1990-12-06T00:00:00","","","","","","","1816年製作の大型・重厚な黒漆塗彩色彫刻屋台。脇障子の鉄線花の透かし彫りは、日光東照宮の諸彫刻と同レベルの完成度と評価される。","","1816(文化13)年に製作された大型で重厚な黒漆塗彩色彫刻屋台。明治6年に白沢南で購入後に正面柱、外欄間、内・外障子に白木彫刻を付加したため特異な外見となっている。彩色彫刻は、その塗りの状況などから何代かに分けて製作されたとみられ、これらの中でも脇障子に施された鉄線花の透かし彫りは、日光東照宮の諸彫刻と同レベルの完成度の高さであると評価されている。この屋台は元々は鹿沼新町(現:麻苧町)で白木屋台として製作され、すぐに塗屋台となったもので、4匹の金龍の彫刻があったが、白沢南で購入の際外され、麻苧町の屋台の完成の際に高欄に取り付けられている。<平2・12・6市指定>","","",""],
[65,92011,65,"栃木県","宇都宮市","城山のシダレザクラ","シロヤマノシダレザクラ","","","市指定天然記念物","","宇都宮市立城山西小学校","栃木県宇都宮市古賀志町583","",36,139,"","",1,"本","","宇都宮市","1959-03-10T00:00:00","","","","","","","城山西小学校の校庭にあり、この地に伝わる民話から、別名「孝子桜」と呼ばれている。","","この桜の木はバラ科のヒガンザクラで、枝が糸のように細く垂れ下がり、北海道、本州、四国、九州の暖帯から温帯に植栽される落葉高木である。城山西小学校の校庭内にあり、この地に伝わる民話から、別名「孝子桜」と呼ばれている。昭和34・3・10市指定<天然記念物>","","",""],
[67,92011,67,"栃木県","宇都宮市","姿川第一小のフジ","スガタガワダイイチショウノフジ","","","市指定天然記念物","","宇都宮市立姿川第一小学校","栃木県宇都宮市西川田本町3丁目11-15","",36,139,"","",1,"本","","宇都宮市","1976-07-17T00:00:00","","","","","","","樹齢約150年の古木であるが、樹勢がよく、毎年4月頃に90cmにも及ぶ見事な花房をつける。","","このフジは野田フジという種類で、山野に自生するが、盆栽や庭園などの観賞用にも植栽され、幹はつる状で長く伸び、他の植物等に右巻きに絡んで成長する。樹齢約150年に及ぶ古木でありながら樹勢がよく、4月頃に90cmにも及ぶ見事な花房をつける「昭和51・7・17市指定」<天然記念物>","","",""],
[70,92011,70,"栃木県","宇都宮市","贈従三位戸田忠恕之碑","ゾウジュサンミトダタダユキノヒ","","","市指定有形文化財","建造物","宇都宮城址公園","栃木県宇都宮市本丸町1-5 宇都宮城址公園内","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1993-03-22T00:00:00","","","","","","","幕末に宇都宮藩主となった戸田忠恕の功績や波乱に富んだ生涯を刻んだ石碑","","戸田忠恕(とだただゆき)は、1856(安政3)年に10歳で家督を継ぎ宇都宮藩主となり、幕末維新にあたって勤皇の志深く、山稜修復や戊辰戦争に尽力したが、1868(明治元)年5月、わずか22歳で没した。この碑は、1897(明治30)年に特旨を以って従三位が贈られた後、翌年に旧藩士や有志が、忠恕の功績を不朽に伝えるため建てたもので、その波乱に富んだ生涯が漢文体で碑全面に刻まれている。平成5・3・22市指定<有形文化財(歴史資料)>","","",""],
[71,92011,71,"栃木県","宇都宮市","高龗神社古墳","タカオジンジャコフン","","","市指定史跡","","","栃木県宇都宮市上大塚町85","",36,139,"","",1,"基","","地域共有","1984-06-01T00:00:00","","","","","","","この一帯は川沿古墳群と呼ばれ、大小の墳丘が点在していたが、現在はこの古墳のみとなっている。直径約30mの円墳で、6世紀半ばから後半の構築と推定される。","","この一帯は川沿古墳群と呼ばれ、現在はこの一基だけだが、かつては大小の墳丘が点在していた。この古墳は直径約30mの円墳で、6世紀半ばから後半に構築されたものと推定される。封土は西側の大半が旧東北本線により削り取られてしまっているため、一見、前方後円墳のように見える。なお、この付近にあった「大塚新田古墳」からは、馬具などの貴重な埋蔵品が出土しており、その一部は東京国立博物館に収蔵されている。<昭59・6・1市指定>","","",""],
[74,92011,74,"栃木県","宇都宮市","竹下浅間山古墳","タケシタセンゲンヤマコフン","","","市指定史跡","","","栃木県宇都宮市竹下町326","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1977-03-08T00:00:00","","","","","","","古墳時代後期の7世紀に築かれた前方後円墳。農地造成中に発見された。","","この古墳は、古墳時代後期の7世紀に築かれた前方後円墳で、1973(昭和48)年農地造成中に偶然発見され、墳丘は失われているが、河原石で美しく積まれた石室を持っている。発掘調査の結果、頭椎太刀(かぶつちのたち)・鉾・馬具類が出土した。昭和52・3・8市指定<記念物(史跡)>","","",""],
[77,92011,77,"栃木県","宇都宮市","塚山西古墳","ツカヤマニシコフン","","","県指定史跡","","","栃木県宇都宮市西川田町","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1973-04-18T00:00:00","","","","","","","塚山古墳築造後に築かれたと考えられ、塚山南古墳と同様、埴輪や土器が数多く出土している。","","この古墳は、前方部の短い帆立貝式前方後円墳で、全長約63m、前方部を南南東に向けて築かれ、古墳の周りを巡る周溝の中から、埴輪や土器が数多く出土している。周溝は、塚山古墳群の主墳である塚山古墳を避けるように掘られており、塚山古墳築造後に築かれたことがわかる。昭和48・4・13県指定<記念物(史跡)>","","",""],
[78,92011,78,"栃木県","宇都宮市","塚山南古墳","ツカヤマミナミコフン","","","県指定史跡","","","栃木県宇都宮市西川田町","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1973-04-18T00:00:00","","","","","","","塚山古墳群の前方後円墳3基の中では最後に築かれ、埴輪や土器も数多く出土している。","","この古墳は、前方部を南に向けて築かれた全長58mの帆立貝式前方後円墳で、塚山西古墳と同じく、周溝の中から、埴輪や土器が数多く出土している。この古墳は塚山西古墳の後に築かれ、塚山古墳群の前方後円墳3基の中では最後に築かれたものである。昭和48・4・13県指定<記念物(史跡)>","","",""],
[79,92011,79,"栃木県","宇都宮市","鉄造阿弥陀如来立像","テツヅクリアミダニョライリュウゾウ","","","県指定有形文化財","美術工芸品","大乗寺","栃木県宇都宮市道場宿町1101","",36,139,"","",1,"駆","","大乗寺","1995-08-22T00:00:00","","","","","","","鎌倉時代の作と考えられる鉄製の珍しい仏像","","仏像の材質は一般的に木や銅であり、鉄製の仏像は鎌倉時代に多く造られたものの珍しい。この像は同時代に制作されたもので、同じ鋳型から造られた仏像が埼玉県・長野県でも発見されている。黒くなっているのは、火災に遭ったことがあるためと思われる。平成7・8・22県指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[80,92011,80,"栃木県","宇都宮市","鉄塔婆","テットウバ","","","重要文化財","美術工芸品","清巌寺","栃木県宇都宮市大通り5丁目3-14","",36,139,"","",1,"基","","清巌寺","1911-08-09T00:00:00","","","","","","","鎌倉時代末期に、宇都宮8代城主貞綱が、母の13回忌供養に奉納したもの。鉄製の塔婆は全国的に類例がなく、大変貴重。","","この鉄塔婆は、鎌倉時代終わり頃の1312(正和元)年、宇都宮8代城主貞綱が、亡き母の13回忌の供養のために鋳造し奉納したもので、表面は梵字や阿弥陀三尊、文字が浮き彫りになっている。鉄製の塔婆は全国的に類例がなく、大変貴重なものである。江戸時代終わり頃の1849(嘉永2)年暴風雨によって3つに折れ、1911(明治44)年に修復されたが、腐食が進んだため、1996(平成8)年に保存処理を施した。高さ約330cm、幅約30cm、厚さ約6.6cm、重量約320kg <昭和25・8・29国指定>","","",""],
[83,92011,83,"栃木県","宇都宮市","天王原彫刻屋台","テンノウハラチョウコクヤタイ","","","市指定民俗文化財","芸能","","栃木県宇都宮市上田原町","",36,139,"","",1,"輌","","地域共有","1992-12-10T00:00:00","","","","","","","1918年製作の外輪式白木彫刻屋台。龍・牡丹・雉などの繊細な彫刻が見られる。","","1918(大正7)年に製作された外輪式白木彫刻屋台。鬼板・懸魚には文政年間の作と思われる龍・牡丹・雉などの繊細な彫刻が見られる。<平成4・12・10市指定>","","",""],
[84,92011,84,"栃木県","宇都宮市","伝薬師如来坐像","デンヤクシニョライザゾウ","","","県指定有形文化財","美術工芸品","","栃木県宇都宮市上田原町","",36,139,"","",1,"駆","","地域共有","1996-01-16T00:00:00","","","","","","","下田原にあった真言宗密興寺の本尊として、南北朝時代の1385年に製作された釈迦如来坐像と伝えられている。","","下田原にあった真言宗密興寺の本尊として、南北朝時代の1385(至徳2)年に製作された釈迦如来坐像と伝えられる。この像は、螺髪の上に天冠台があることから、頭部に宝冠をいただいていたと思われ、また、禅定印を結ぶ手首先と後背は他像からの転用で、玉眼は後代にはめ込まれたものとみられる。この時代の宝冠をいだく様式の如来坐像はいずれも阿弥陀如来像であることから、本像も元々は阿弥陀の定印を結ぶ阿弥陀如来像であったと思われる。<平成8・1・16県指定>
※拝観には、管理者の許可が必要。","","",""],
[85,92011,85,"栃木県","宇都宮市","銅鐘","ドウショウ","","","県指定有形文化財","美術工芸品","大谷寺","栃木県宇都宮市大谷町1198","",36,139,"","",1,"口","","大谷寺","1988-04-08T00:00:00","","","","","","","1695年に製作された銅鐘で、端正な形に古様の様式が見られる。","","この銅鐘は、大谷寺中興第4世応賢が願主となり、1695(元禄8)年に宇都宮の鋳物師である戸室重郎兵衛藤原定国に鋳造させたもので、小形ではあるが、端正な形に古様の様式が見られる。昭和63・4・3県指定<有形文化財(工芸品)>","","",""],
[86,92011,86,"栃木県","宇都宮市","銅鐘","ドウショウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","清巌寺","栃木県宇都宮市大通り5丁目3-14","",36,139,"","",1,"口","","清巌寺","1988-03-22T00:00:00","","","","","","","所蔵していた鐘が火災に遭い、1751年に新たに造られたもの。市内随一の美しい音色であったため、第二次世界大戦中の供出から免れたといわれる。","","清巌寺には、江戸時代の1660(万治3)年に造られた鐘があったが、火災によって破損したため、1751(寛延4)年、今小路町の小牧時敏が施主となり、宇都宮の鋳物師戸室元蕃に鋳造させたのがこの銅鐘である。高さ133.5cm、口径58cmと、口径に比べて鐘身がやや高く、すんなりとした形が美しい。また、市内で最も美しい音色であったため、第二次世界大戦中の供出から免れたといわれる。<昭和63・3・22市指定>","","",""],
[87,92011,87,"栃木県","宇都宮市","銅鐘","ドウショウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","同慶寺","栃木県宇都宮市竹下町1107","",36,139,"","",1,"口","","同慶寺","1958-07-21T00:00:00","","","","","","","1716年にこの寺の住職の発案により鋳造されたもので、現在も使用されている。","","1716(享保元)年に、同慶寺住職が計画立案し、近隣の村人の寄付を受け、宇都宮の鋳工・戸室将監藤原定国が鋳造したものである。現在使用中でありながらほとんど無傷であり、その銘文は当時のお寺と檀家の関係を知るうえで貴重な資料となっている。昭和33・7・21市指定<有形文化財>","","",""],
[88,92011,88,"栃木県","宇都宮市","銅製鰐口","ドウセイワニグチ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","大谷寺","栃木県宇都宮市大谷町1198","",36,139,"","",1,"基","","大谷寺","1995-03-22T00:00:00","","","","","","","1667年に製作された青銅製の鰐口で、製作年号を刻んだ鰐口では、現在、宇都宮市内で最古のもの","","鰐口とは、神社や寺の正面の軒下につるして、参拝者が布で編んだ太い綱を引いて鳴らす青銅製品で、下方が横に長く裂けている。この青銅製の鰐口は江戸時代前期の1667(寛文7)年に作られたもので、製作年号を刻んだ鰐口では、現在、宇都宮市内で最古のものである。なお、つるす部分を耳といい、その多くは半円形や弧状だが、これは蕨手状(わらびてじょう)になっている。平成7・3・22市指定<有形文化財(工芸品)>","","",""],
[89,92011,89,"栃木県","宇都宮市","銅造阿弥陀如来坐像","ドウゾウアミダニョライザゾウ","","","重要文化財","美術工芸品","一向寺","栃木県宇都宮市西原2丁目1-10","",36,139,"","",1,"体","","一向寺","1914-08-25T00:00:00","","","","","","","異変の前に汗をかくという伝説から「汗かき阿弥陀」と親しまれている阿弥陀如来坐像","","この仏像は第12代城主宇都宮満綱が願主となって、1405(応永12)年、長楽寺の本尊として造られたが、1869(明治2)年、長楽寺の廃寺により一向寺に移された。衣全面に340人を越える寄進者の名前などの文字が刻まれ、その数は1105字という。作者は、宇都宮を中心に活躍していた鋳物師の秦景重で、鎌倉時代の作風を残した仏像である。この仏像には、この世に異変が起こる前になると、汗をかくという伝説が残され、「汗かき阿弥陀」の名で親しまれている。五十里洪水や関東大震災の前日にも汗をかいたという。日曜日に拝観できる。<昭和25・8・29国指定重要文化財>","","",""],
[90,92011,90,"栃木県","宇都宮市","銅造大日如来坐像","ドウゾウダイニチニョライザゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","広琳寺","栃木県宇都宮市平出町1673","",36,139,"","",1,"体","","広琳寺","1985-03-20T00:00:00","","","","","","","江戸時代初期の作といわれ、境内の文殊堂屋根上に設けられた龕(がん)の中に安置されている。","","江戸時代初期の作といわれ、境内の文殊堂屋根上に設けられた龕(がん)の中に安置されている。","","",""],
[91,92011,91,"栃木県","宇都宮市","銅造宝篋印塔","ドウゾウホウキョウイントウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","金剛定寺","栃木県宇都宮市上桑島町1041","",36,139,"","",1,"基","","金剛定寺","1957-06-03T00:00:00","","","","","","","1736年に鋳造された銅製のもので、塔身の四面に四方仏や梵字が刻まれている。","","宝筺印塔は、本来は宝筺印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を納める塔という意味であるが、鎌倉時代以後は墓碑や供養塔として数多く造られた。石製が多いが、この塔は銅製で、塔身の四面に四方仏または梵字が刻まれている。江戸時代の1736(元文元)年に、宇都宮の鋳工・戸室将監藤原元蕃が鋳造したもので、当時の工芸技術を知るものとして重要である。昭和32・6・3市指定<有形文化財(工芸品)>","","",""],
[92,92011,92,"栃木県","宇都宮市","銅造盧舎那仏坐像","ドウゾウルシャナブツザゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","善願寺","栃木県宇都宮市南大通り1丁目8-19","",36,139,"","",1,"軀","","善願寺","1958-05-15T00:00:00","","","","","","","1735年に造られたこの仏像には、造営にまつわる「大豆三粒の金仏」伝説がある。","","この大仏は、1735(享保20)年、善願寺の栄鈷和尚(えいこおしょう)の願いにより造られ、「大豆三粒の金仏(だいずさんつぶのかなぶつ)」として、次のような伝説が残されている。大仏を造る資金が不足して困っていたとき、和尚は善願寺を訪れた旅の僧に願いを打ち明け相談した。僧は大豆3粒を取り出し、これを境内に蒔き、実った大豆を多くの人たちに分けて増やしていけば、やがて資金がえられようと教えてくれた。和尚はすぐにこれを実行し、10年後には念願の大仏を造ることができたという。昭和33・5・15市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[93,92011,93,"栃木県","宇都宮市","銅灯籠","ドウドウロウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","大谷寺","栃木県宇都宮市大谷町1198","",36,139,"","",1,"基","","大谷寺","1988-03-22T00:00:00","","","","","","","1716年に寄進されたもので、高い鋳造技術を表す作品となっている。","","この八角形の銅灯籠は、1716(享保元)年に河内郡新里村の高橋善左衛門吉勝が寄進したものであり、宇都宮の鋳物師である戸室将監藤原元蕃によって鋳造されたものである。多くの意匠を駆使し、均整のとれた安定感のある灯籠であり、高い鋳造技術を表す作品である。昭和63・3・22市指定<有形文化財>","","",""],
[94,92011,94,"栃木県","宇都宮市","徳次郎智賀都神社祭礼付祭屋台","トクジラチカツジンジャサイレイツケマツリヤタイ","","","市指定民俗文化財","","","栃木県宇都宮市徳次郎2478他","",36,139,"","",6,"台","","地域共有","1989-12-20T00:00:00","","","","","","","徳次郎六か郷の鎮守で、3年に一度、例大祭が行われ、彫刻屋台も披露される。","","智賀都神社は、徳次郎六か郷(西根・門前・田中・上町・下町・中町)の鎮守で、毎年7月31日、8月1日に宵祭、例大祭が行われていたが、現在は3年に一度、7月の最終土曜日に行われている。屋台は、江戸時代終わりから明治時代にかけて作られた彫刻屋台であり、彫刻は石那田の屋台と同じ、磯邊敬信や後藤正秀、大出常吉らの手によるものである。平成元・12・20市指定<民俗文化財(有形)>","","",""],
[96,92011,96,"栃木県","宇都宮市","長岡百穴古墳","ナガオカヒャクアナコフン","","","県指定史跡","","","栃木県宇都宮市長岡町550","",36,139,"","",52,"穴","","宇都宮市","1955-07-26T00:00:00","","","","","","","丘陵の斜面を蜂巣のようにくり抜いた横穴墓。百穴と言われるが、現在は52穴で、各横穴には後世の観音像が刻まれている。","","凝灰岩から成る丘陵の斜面に蜂巣のようにくり抜いた横穴墳である。百穴という名称であるが、現在は52穴が南を向いて開口している。これらの横穴の基本形態は、羽子板型の玄室から玄門を経て直接前庭部続くもので、羨道(せんどう)に当たるものはみられない。玄門に扉石をはめ込んだとみられる切込みがあり、現在はないが、当時はほとんどの横穴に扉石があったと思われる。なお、各横穴には、後世の作である観音像が刻まれているが、地元には、これらの観音は弘法大師一夜の作との伝承がある。昭和30・7・26県指定<記念物(史跡)>","","",""],
[99,92011,99,"栃木県","宇都宮市","西組彫刻屋台","ニシグミチョウコクヤタイ","","","市指定民俗文化財","芸能","","栃木県宇都宮市上田原町","",36,139,"","",1,"輌","","地域共有","1992-12-10T00:00:00","","","","","","","1934年製作の内輪式白木彫刻屋台","","1934(昭和9)年に製作された内輪式白木彫刻屋台。高欄と障子には彩色がされ、また唐獅子牡丹・鯉・亀・鶏・花鳥などの彫刻がある。<平成4・12・10市指定>","","",""],
[100,92011,100,"栃木県","宇都宮市","西下ヶ橋彫刻屋台","ニシシサゲハシチョウコクヤタイ","","","市指定民俗文化財","芸能","","栃木県宇都宮市下ケ橋町","",36,139,"","",1,"輌","","地域共有","1991-03-30T00:00:00","","","","","","","1833年製作の黒漆塗彩色彫刻屋台。正面蹴込の獅子の透かし彫りの玉などに彫刻技術の高さを見ることができる。","","1833(天保4)年に製作された黒漆塗彩色彫刻屋台。彫刻は神山政五郎のものと伝えられ、柱はリスとブドウ、障子回りは桜を主体にした花木、外欄間は菊、高欄下は板書きの波でコンパクトにまとめられている。側面の華々しさはないが、正面の蹴込の獅子が戯れる透かし彫りの玉などに、彫刻の技術の高さを見ることができ、鬼板と懸魚(げぎょ)の龍は華麗なものとなっている。<平3・3・30市指定>","","",""],
[103,92011,103,"栃木県","宇都宮市","芳賀氏累代の墓碑","ハガシルイダイノボヒ","","","市指定史跡","","同慶寺","栃木県宇都宮市竹下町1107","",36,139,"","",14,"基","","同慶寺","1958-07-21T00:00:00","","","","","","","清原氏の菩提寺だった同慶寺にある、清原氏累代の墓碑","","飛山城主であった芳賀氏の同族清原氏は、同慶寺を菩提寺としたことから、清原氏累代の墓碑が建立されている。ここにある墓碑は、何れも五輪塔の形式ではあるが、永い間に相当の移動があったように思われる。なお、中央の碑は、清原氏14代の法名を刻んだもので、明治年間に子孫が建立したものである。昭和33・7・21市指定<記念物(史跡)>","","",""],
[104,92011,104,"栃木県","宇都宮市","羽黒山神社撞鐘堂","ハグロサンジンジャカネツキドウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","羽黒山神社","栃木県宇都宮市今里町1444","",36,139,"","",1,"口","","羽黒山神社","1986-12-08T00:00:00","","","","","","","1702年に建立された堂で、その梵鐘を撞いて時を告げていたといわれる。","","1702(元禄14)年9月に建立されたこの堂は、神仏混淆としての羽黒山神社を位置づけるものですが、梵鐘は文政元年(建立から117年後)再替と陰刻されており、改鋳されたものと考えられます。鐘は一般寺院にある梵鐘と同じもので、これを撞いて時を知らせたこともあったと思われます。<昭和61・12・8>","","",""],
[105,92011,105,"栃木県","宇都宮市","羽黒山神社本殿","ハグロサンジンジャホンデン","","","市指定有形文化財","建造物","羽黒山神社","栃木県宇都宮市今里町1444","",36,139,"","",1,"棟","","羽黒山神社","1976-09-22T00:00:00","","","","","","","羽黒山神社は、1058~1065年頃に藤原宗円が創建したものと伝えられ、この本殿は、1830年の造営で、精巧な社の彫刻が見事である。","","農業と関わりの深い宇迦之魂命を祀る羽黒山神社は、江戸時代には近郷十八郷の総鎮守であり、また神仏混淆の修験道場の名残をとどめている。創建は諸説あるが、康平年中(1058年~1065年)に藤原宗円が宇都宮城築城に際し、祈祷修法中に出羽三山との関連を意識し勧請されたものと伝えられる。本殿は拝殿の奥にあり、1830(文政13)年の造営で、「力持ち」をはじめとした精巧な社の彫刻は神山政五郎の作である。<昭和51・9・22市指定>","","",""],
[106,92011,106,"栃木県","宇都宮市","八幡山のクスノキ","ハチマンヤマノクスノキ","","","市指定天然記念物","","八幡山公園","栃木県宇都宮市塙田5丁目2-70","",36,139,"","",1,"本","","宇都宮市","1972-12-08T00:00:00","","","","","","","江戸時代からこの場所に生育している県内でも珍しい巨木で、5月頃に黄白色の花が咲く。","","江戸時代からここに生育していたと思われる、クスノキの巨木である。クスノキは主に関東地方以西の暖かい地域に分布している常緑高木で、これだけ大きいものは栃木県内では珍しい。葉脈の分岐点に小さいいぼ状の点があり、中にダニの一種がいるのがクスノキの特徴である。新芽は赤褐色で美しく、5月頃に黄白色の花が咲く。昭和47・12・8市指定<天然記念物>","","",""],
[109,92011,109,"栃木県","宇都宮市","東芦沼神社大杉","ヒガシアシヌマジンジャオオスギ","","","市指定天然記念物","","高お神社","栃木県宇都宮市芦沼町974","",36,139,"","",3,"本","","高お神社","1976-09-22T00:00:00","","","","","","","神社は1467年創建、境内にある大杉は推定樹齢約450年の大木で、この神社の御神木となっている。","","この神社は、1467(応仁元)年に創建され、境内にあるこの三本の杉は、推定樹齢約450年の大木で、このような平地に植栽され、立派に時の流れをみつつ巨木化した例は町内にあまり類例を見ず、この神社の御神木として人々に崇われている。<昭和51・9・22指定>","","",""],
[110,92011,110,"栃木県","宇都宮市","東芦沼神社本殿","ヒガシアシヌマジンジャホンデン","","","市指定有形文化財","建造物","高お神社","栃木県宇都宮市芦沼町974","",36,139,"","",1,"棟","","高お神社","1976-09-22T00:00:00","","","","","","","神社は1467年創建、境内にある大杉は推定樹齢約450年の大木で、この神社の御神木となっている。","","この神社は、1467(応仁元)年に創建され、境内にあるこの三本の杉は、推定樹齢約450年の大木で、このような平地に植栽され、立派に時の流れをみつつ巨木化した例はあまり類例を見ず、この神社の御神木として人々に崇われている。<昭和51・9・22指定>","","",""],
[111,92011,111,"栃木県","宇都宮市","東組彫刻屋台","ヒガシグミチョウコクヤタイ","","","市指定民俗文化財","","","栃木県宇都宮市上田原町","",36,139,"","",1,"輌","","地域共有","1992-07-01T00:00:00","","","","","","","1845年製作の外輪式彩色彫刻屋台。螺細の彩色や玉眼金龍の彫刻などは当時の状態と見られる。","","1845(弘化2)年に製作された外輪式彩色彫刻屋台。唐破風の螺細の彩色や、脇障子の鶏・鬼板・懸魚の玉眼金龍の彫刻などは当時の物と見られ、保存状態も良く、すばらしい技術の高さを物語っている。<平成4・7・1市指定>","","",""],
[112,92011,112,"栃木県","宇都宮市","東下ヶ橋天棚","ヒガシサゲハシテンダナ","","","市指定民俗文化財","","","栃木県宇都宮市下ケ橋町","",36,139,"","",1,"基","","地域共有","1991-03-30T00:00:00","","","","","","","1862年製作の重厚な白木彫刻天棚。製作費が約350両と伝えられており、その豪華さを窺い知ることができる。","","1862(慶応2)年に製作された重厚な白木彫刻天棚。製作費が約350両であったと伝えられており、その豪華さを窺い知ることができる。天棚とは、太陽信仰に根ざす農耕の祭り「天祭(てんさい)」に使用されるもので、江戸中期頃より作られるようになり、幕末・明治初期に最も盛んに製作された。<平3・3・30市指定>","","",""],
[114,92011,114,"栃木県","宇都宮市","樋爪氏の墓","ヒヅメシノハカ","","","市指定史跡","","","栃木県宇都宮市大通り5丁目3-2","",36,139,"","",2,"基","","地域共有","1958-07-21T00:00:00","","","","","","","樋爪氏は奥州藤原氏の一族といわれ、源頼朝が藤原氏を追討した際に捕虜とした樋爪五郎季衝とその子経衡の墓と伝えられている。","樋爪氏は奥州藤原氏の一族といわれ、源頼朝が藤原氏を追討した際、捕虜とした樋爪五郎季衝とその子経衡の墓と伝えられている。","源頼朝が奥州藤原氏を追討した際、藤原氏の一族である樋爪五郎季衡とその子経衡を捕虜とし、祈願成就のお礼の生贄として二荒山神社に献納したという。この樋爪親子は故郷へ逃げ帰ろうとして上河原で追手に捕えられ殺害され、この石塔は樋爪親子の墓だといわれている。昭和33・7・21市指定<有形文化財(史跡)>","","",""],
[116,92011,116,"栃木県","宇都宮市","藤原利仁公の墓","フジワラトシヒトコウノハカ","","","市指定史跡","","白山神社","栃木県宇都宮市関白町","",36,139,"","",1,"基","","地域共有","1991-09-20T00:00:00","","","","","","","古碑の梵字から、武将の供養塔とされ、藤原利仁の墓と伝えられる。","","古碑は宝篋印塔で、四面の梵字は「諸行無常偈」を表し、合戦などで討死した武将の供養塔に使用されることが多い。「河内郡誌」には「利仁、果シテ関白ノ地ニ薨セシヤ否ヤ、疑ナキ能ハズ」と利仁の墳墓所在の至難なることを述べているため確証はできないが、後世に伝える文化遺産のひとつと称される。<平成3・9市指定>","","",""],
[118,92011,118,"栃木県","宇都宮市","御蔵山古墳","ミクラヤマコフン","","","市指定史跡","","","栃木県宇都宮市塙田5丁目535-1","",36,139,"","",1,"基","","雷神社 ","1997-03-21T00:00:00","","","","","","","6世紀前半頃造られた中型の前方後円墳。頂上には「雷神社(らいじんじゃ)」がある。","","御蔵山古墳は、6世紀前半頃造られた全長約62m、高さ約5mの中型の前方後円墳で、前方部を西北西に向けている。墳丘は三段になっており、下半分は山を削って形を整え、上半分は土を盛り上げて築いている。周辺からは土器や埴輪の破片が出土し、また古墳のふもとには、近くの古墳から遺物が出土したことを伝える石碑「古棺記(こかんき)」が、頂上には「雷神社(らいじんじゃ)」がある。神社造営の際、前方部と後円部の上面部分が約1m程削り取られている。平成9・3・21市指定<記念物(史跡)>","","",""],
[119,92011,119,"栃木県","宇都宮市","密嶽神社","ミツダケジンジャ","","","市指定有形文化財","建造物","密嶽神社","栃木県宇都宮市今里町1444","",36,139,"","",1,"棟","","地域共有","1988-07-26T00:00:00","","","","","","","通称「隠居羽黒山」といわれ、鎌倉時代後期の1322年創建と伝えられる。元は羽黒山三社大権現と呼ばれたが、神仏分離により「密嶽神社」と改称した。","","通称「隠居羽黒山」といわれ、鎌倉時代後期の1322(元亨2)年創建と伝えられている。嶽の頂上に三神を祭祀したので羽黒山三社大権現と呼称され、後に三嶽大権現と改められ羽黒山大権現と同様に多く崇拝を受けていたが、1868(慶応4)年3月の神仏分離によって権現を改め「密嶽神社」と改称し、今日に及んでいる。建物は1750(寛延3)年2月、野火により全焼したが、2年後の1752(宝暦2)年9月に拝殿が再建された。本殿の彫刻は、農作物をモチーフとして描かれている素晴らしいものである。(昭和63・7・26)","","",""],
[120,92011,120,"栃木県","宇都宮市","宮下古墳","ミヤシタコフン","","","市指定史跡","","","栃木県宇都宮市瓦谷町32-2","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1962-03-20T00:00:00","","","","","","","北山古墳群内の中心的古墳で、全長約43m、高さ約4m、6世紀後半古墳時代後期の築造と考えられる。","","北山古墳群内の中心的古墳で、全長約43m、前方部幅約32m、後円部径約29m、高さ約4mで、付近には5基の円墳が付き従うように「V字」形に築かれている。明治中頃の発掘により、直刀、馬具、玉類が出土し、これらの遺物から、6世紀後半古墳時代後期のものと考えられる。昭和37・3・20市指定<記念物(史跡)>","","",""],
[121,92011,121,"栃木県","宇都宮市","妙哲禅師の墓附墓碑","ミョウテツゼンジノハカツケタリボヒ","","","県指定史跡","","伝法寺","栃木県宇都宮市徳次郎町3417","",36,139,"","",1,"基","","伝法寺","1956-09-15T00:00:00","","","","","","","妙哲禅師は、鎌倉時代に奥州に生まれ、この伝法寺や、妙雲寺(塩原町)、同慶寺(宇都宮市竹下町)を開き、下野国(栃木県)に臨済宗を広めた中心人物","","妙哲禅師は、鎌倉時代に奥州に生まれ、雲巌寺(黒羽町)の仏国国師の弟子となり、この伝法寺や、妙雲寺(塩原町)、同慶寺(宇都宮市竹下町)を開き、下野国(栃木県)に臨済宗を広めた中心人物である。墓碑は高さ1.48mの安山岩製で、八角形の基礎の上に、八角柱の竿石を立て、ここに中台を載せ、その上に卵形の塔身を安置した無縫塔である。墓碑の基礎面に、禅師の功績と1349(貞和5)年11月12日の没年を刻んでいる。昭和31・6・15県指定<記念物(史跡)>","","",""],
[123,92011,123,"栃木県","宇都宮市","夫婦杉","メオトスギ","","","天然記念物","","羽黒山神社","栃木県宇都宮市今里町1444","",36,139,"","",2,"本","","羽黒山神社","1991-09-20T00:00:00","","","","","","","推定樹齢約450年、樹高約30mの杉の巨木で、この神社の御神木、また縁結びの木として信仰を集めている。","","推定樹齢約450年、樹高約30m、目通周囲約4.5mの杉の巨木で、慶安年間(1648年~1652年)に宇都宮城主奥平忠昌が出羽の羽黒山の分霊を祀り、本殿が修復された際、参道の改修と併せ、植栽されたものといわれている。真っすぐに伸びた2本の幹が根本で1本となるこの杉は、神社の御神木として、またその名前から縁結びの木として人々の信仰を集めている。平成3・9・20市指定<天然記念物>","","",""],
[124,92011,124,"栃木県","宇都宮市","木造阿弥陀如来坐像","モクゾウアミダニョライザゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","慈光寺","栃木県宇都宮市塙田1丁目3-3","",36,139,"","",1,"体","","慈光寺","1993-03-22T00:00:00","","","","","","","丸い顔、なで肩で丸みのある体、彫りの浅い衣の線など、平安時代後期の特徴を持つ仏像","","この仏像は、整然と刻み込まれた螺髪(らほつ(仏像の頭髪))や丸い顔、なで肩で丸みのある体、彫りの浅い衣の線などから、平安時代後期の作と考えられる。仏像の底に書かれた墨書によると、江戸初期の慶安2年(1649)、江戸末期の弘化4年(1847)、明治22年(1889)の3回、修理が行われている。<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[125,92011,125,"栃木県","宇都宮市","木造阿弥陀如来坐像","モクゾウアミダニョライザゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","広琳寺","栃木県宇都宮市平出町1673","",36,139,"","",1,"体","","広琳寺","1985-03-20T00:00:00","","","","","","","広琳寺に客仏として保管されている江戸時代制作の仏像","","阿弥陀如来は、極楽浄土の仏とされ、日本では多くの信仰を集めた。この像は、広琳寺に客仏として保管されているもので、廃寺となった寺のものであったと伝えられている。江戸時代の作であるが、製作技法に古い様式が用いられている。昭和60・3・20市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[126,92011,126,"栃木県","宇都宮市","木造阿弥陀如来立像","モクゾウアミダニョライリュウゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","浄鏡寺","栃木県宇都宮市塙田2丁目5-1","",36,139,"","",1,"体","","浄鏡寺","2005-05-10T00:00:00","","","","","","","藤原時代の和様彫刻の特徴が見られる12世紀後半に作られた仏像","","この像は、藤原時代の和様彫刻の特徴が見られる12世紀後半の仏像。浄鏡寺の本尊は、1945年(昭和20)の宇都宮空襲で焼失したため、現在の本尊は、同じ浄土宗の清厳寺より移座されたものである。<平成17・5・20市指定>","","",""],
[127,92011,127,"栃木県","宇都宮市","木造阿弥陀如来立像(台座光背)附納入文書","モクゾウアミダニョライリュウゾウ(ダイザコウハイ)ツケタリノウニュウモンジョ","","","県指定有形文化財","美術工芸品","清泉寺","栃木県宇都宮市下小倉町1529","",36,139,"","",1,"駆","","清泉寺","1994-01-28T00:00:00","","","","","","","12世紀中頃(平安時代)の作とされる阿弥陀如来立像で、像内から奉加帳と修理銘が確認されている。","","清泉寺本堂に安置されている、像高86.2cmの三尺像と称される来迎形(らいごうけい)の阿弥陀如来立像。本像は檜材、一木割矧造、玉眼、肉髪珠、肉身部金泥塗、衣文部漆箔である。丸くなだらかな肩や穏やかな表情、小ぶりな螺髪、彫りの浅い衣文などの作風から、十二世紀中頃(平安時代)の作とされている。像内からは奉加帳(ほうがちょう)と共に修理銘が確認されている。平成6・1・28県指定。<県指定有形文化財(彫刻)>
※拝観にはお寺の許可が必要。","","",""],
[128,92011,128,"栃木県","宇都宮市","木造訶利帝母坐像","モクゾウカリテイモゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","同慶寺","栃木県宇都宮市竹下町1107","",36,139,"","",1,"体","","同慶寺","1975-03-25T00:00:00","","","","","","","江戸時代初期に造られたものと考えられ、安産や保育の守護神として尊崇されている。","","訶利帝母(訶梨帝母)は、一般的に鬼子母神とも呼ばれ、安産や保育の守護神として尊崇されている。この像は寄木造りの技法で製作され、玉眼がはめ込まれ、同慶寺境内のお堂に安置されており、江戸時代初期に造られたものと考えられる。昭和50・3・25市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[129,92011,129,"栃木県","宇都宮市","木造虚空蔵菩薩立像","モクゾウコクウゾウボサツリュウゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","東海寺","栃木県宇都宮市篠井町827","",36,139,"","",1,"体","","東海寺","1987-03-31T00:00:00","","","","","","","室町時代の製作といわれ、60年に一度開帳される秘仏","","虚空蔵とは、その広大無辺の功徳が虚空(大空)のように大きいという意味である。この像は、頭上には八角形の宝冠をつけ、右手に智慧(ちえ)の剣、左手には蓮華の上に福徳の如意宝珠を持っている。像高130cm、肩幅23cm、制作年代は室町時代と思われ、60年に一度開帳される秘仏である。昭62・3・31市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[130,92011,130,"栃木県","宇都宮市","木造四天王像","モクゾウシテンノウゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","真福寺","栃木県宇都宮市泉町4-17","",36,139,"","",1,"体","","真福寺","1968-03-22T00:00:00","","","","","","","江戸時代の宇都宮の仏師、高田運刻の作品。四天王が揃う貴重なもの","","この木造四天王像は、真福寺の本堂に安置されている。持国天(じこくてん)・多聞天(たもんてん)・広目天(こうもくてん)・増長天(ぞうちょうてん)の4体がそろっているのは珍しい。台座に「嘉永五年壬子年九月二日、宇陽大仏師高田法橋運刻同豊吉」の銘があり、宇都宮の仏師高田運刻の作品であることがわかる。四天王とは、帝釈天(仏教を守護する天上界の王)に仕え、四方を守る神のことである。昭和43・3・25市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[131,92011,131,"栃木県","宇都宮市","木造釈迦如来坐像","モクゾウシャカニョライザゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","興禅寺","栃木県宇都宮市今泉3丁目5-13","",36,139,"","",1,"体","","興禅寺","1958-01-24T00:00:00","","","","","","","興禅寺は1314年、宇都宮8代城主貞綱が開いた寺で、かつては広大な境内に多くの塔頭が並んでいた。この仏像は、南北朝時代の作であるが、彫りが深く鋭いなど鎌倉彫刻の作風を残している。","","この仏像は、寄木造り、玉眼で、目をやや細め、わずかに首を前に傾けている。南北朝時代の作であるが、彫りが深く鋭いなど鎌倉彫刻の作風を残している。仏像の底面に、北朝の年号「文和元年」と作者名「院吉・院広・院遵(いんきち・いんこう・いんじゅん)」が刻まれている。興禅寺は1314(正和3)年、宇都宮8代城主貞綱が開いた寺で、かつては広大な境内に多くの塔頭(たっちゅう〔寺の境内に建てた小院〕)が並んでいた。昭和33・1・24市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[133,92011,133,"栃木県","宇都宮市","木造聖観世音菩薩立像","モクゾウショウカンゼオンボサツリュウゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","桂林時","栃木県宇都宮市清住1丁目3-37","",36,139,"","",1,"体","","桂林時","1975-03-25T00:00:00","","","","","","","桂林寺の本堂に安置されている江戸時代作の仏像。毎年3月18日の縁日に限り開帳している。","","この像は、桂林寺の本堂に安置されており、右足に体重をかけ、左足を遊ばせている珍しい立ち姿である。顔は面長で、玉眼、目尻には藍が加えられ、寄木造りである。ほっそりとした体つきで、全体として優美な、江戸時代の仏像の特色を表している。秘仏であるが、毎年3月18日の縁日に限り開帳している。昭和50・3・25市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[136,92011,136,"栃木県","宇都宮市","木造不動明王坐像","モクゾウフドウミョウオウザゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","多気山持宝院","栃木県宇都宮市田下町564","",36,139,"","",1,"体","","多気山持宝院","1957-06-03T00:00:00","","","","","","","平安時代後期の作と推定される不動明王坐像〔宇都宮市指定有形文化財〕","","この像は、忿怒形(ふんぬぎょう(怒った様子))でありながら顔面筋肉の怒張、隆起などはみられず、力を内に秘めた姿は、密教の主尊である大日如来の使者とされ、五大明王(不動・降三世・軍茶利・大威徳・金剛夜叉)の中で最高位にある不動明王の威厳を示している。寄木造りで、平安時代後期の作と推定される。見開いた大きな玉眼は印象的だが、これは1389(康応元)年の修理の際に入れられた可能性が高く、本来は彫眼であったと考えられている。昭和32・6・3市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[137,92011,137,"栃木県","宇都宮市","木造文殊菩薩坐像","モクゾウモンジュボサツザゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","広琳寺","栃木県宇都宮市平出町1673","",36,139,"","",1,"体","","広琳寺","1972-12-08T00:00:00","","","","","","","右手に智剣、左手に経巻を持つ文殊菩薩で、江戸時代の作といわれる。","","文殊菩薩は、通常は普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍(きょうじ)であり、知慧と戒律を司るとされてきた。この仏像は独尊形で、右手に智剣を、左手に経巻を持ち、江戸時代に寄木造りによって製作されたものと考えられる。昭和47・12・8市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[138,92011,138,"栃木県","宇都宮市","木造薬師如来坐像","モクゾウヤクシニョライザゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","医王寺","栃木県宇都宮市石井町122","",36,139,"","",1,"体","","医王寺","1967-03-25T00:00:00","","","","","","","南北朝時代から室町時代の作と考えられ、漆箔(しっぱく)は落ちているが、体躯や面貌はよく残されている。","","薬師如来は、人間の病苦を癒し内面の苦悩を除くといわれる仏で、薬師瑠璃光如来とも医王仏とも呼ばれる。この仏像は、南北朝時代から室町時代にかけて製作されたものと考えられ、寄木造りで、漆箔(しっぱく)が落ちているものの、体躯や面貌はよく保存されている。昭和42・3・25市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[139,92011,139,"栃木県","宇都宮市","木造薬師如来立像","モクゾウヤクシニョライリュウゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","能満寺","栃木県宇都宮市駒生町1870","",36,139,"","",1,"体","","能満寺","1957-01-12T00:00:00","","","","","","","平安時代中期に作られた市内最古の仏像。元々は下荒針町の薬師堂に安置されていたが、修理を機に能満寺へ移された。","","この像は、カヤの一木造りで、重みのある堂々とした姿や、穏やかで静かな表情などは平安時代初期の作を思わせるが、眼の表情や衣の襞(ひだ)は丸みを帯び、両袖が波打っていることから、平安時代中期の作で、現在、市内では最も古い仏像である。元々は市内の下荒針町羽下(はじた)の薬師堂に安置されていたが、1994(平成6)年、破損していた足や両手首の修理を機に、能満寺へ移された。昭和32・1・12市指定<有形文化財(彫刻)>","","",""],
[140,92011,140,"栃木県","宇都宮市","薬師堂","ヤクシドウ","","","市指定有形文化財","建造物","清泉寺","栃木県宇都宮市下小倉町1529","",36,139,"","",1,"棟","","清泉寺","1993-10-01T00:00:00","","","","","","","堂内に薬師如来像が安置され、その製作が1752年と墨書きされていることから、堂も同時期の建立と思われる。","","薬師堂は、堂内に安置している薬師如来像の制作年代が1752(宝暦2)年と墨書されていることから、ほぼ同時期に建立されたものと思われる。建物の構造は軒が二重垂木(たるき)、組物として平三つ斗(ひらみつと)組になっており、柱は欅の丸柱で、正面向拝の虹梁(こうりょう)には薬壺を持った竜の彫刻があり、内部天井は格天井づくりになっている。<平成5・10・1市指定>","","",""],
[141,92011,141,"栃木県","宇都宮市","薬師如来像","ヤクシニョライゾウ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","清泉寺","栃木県宇都宮市下小倉町1529","",36,139,"","",1,"駆","","清泉寺","1976-09-22T00:00:00","","","","","","","堂内に薬師如来像が安置され、その製作が1752年と墨書きされていることから、堂も同時期の建立と思われる。","","薬師堂は、堂内に安置している薬師如来像の制作年代が1752(宝暦2)年と墨書されていることから、ほぼ同時期に建立されたものと思われる。建物の構造は軒が二重垂木(たるき)、組物として平三つ斗(ひらみつと)組になっており、柱は欅の丸柱で、正面向拝の虹梁(こうりょう)には薬壺を持った竜の彫刻があり、内部天井は格天井づくりになってる。<平成5・10・1市指定>","","",""],
[142,92011,142,"栃木県","宇都宮市","谷口山古墳","ヤグチヤマコフン","","","市指定史跡","","インマヌエル教会","栃木県宇都宮市長岡町1258-4","",36,139,"","",1,"基","","インマヌエル宇都宮基督教会","1991-11-27T00:00:00","","","","","","","6世紀後半(古墳時代後期)築と推定される、横穴式石室を持つ円墳","","谷口山古墳は、6世紀後半(古墳時代後期)、田川右岸の宇都宮丘陵南端部に築かれた横穴式石室を持つ円墳と推定される。横穴式石室が未開口であったため、人骨及び副葬品は、ほぼ元の位置のまま確認され、当時の埋葬形態をうかがい知ることのできる貴重な古墳である。平成3・11・27市指定<記念物(史跡)>","","",""],
[144,92011,144,"栃木県","宇都宮市","屋台","ヤタイ","","","県指定有形文化財","美術工芸品","","栃木県宇都宮市伝馬町","",36,139,"","",1,"台","","地域共有","1955-07-26T00:00:00","","","","","","","江戸時代末期に造られた華麗な彩色の彫刻屋台。普段は解体し、祭りの時に組み立てられる。","","この屋台は、4輪の車が付き、屋根の上には、龍が今にも飛び出しそうな姿で乗り、全体に「牡丹に唐獅子」「松に鳳凰」など、華麗な彫刻がはめこまれている彩色の彫刻屋台である。江戸末期の代表的な彫刻師である磯邊儀兵衛(いそべぎへえ)が造ったもので、屋根の裏側には「嘉永五年(1852)壬子九月吉祥日」の墨書銘がある。保存状態がよく、普段は解体して収納し、祭りの時などに組み立てる。規格は、縦409cm、横164cm、高さ342cm<有形文化財(工芸品)>","","",""],
[145,92011,145,"栃木県","宇都宮市","雷電山古墳","ライデンヤマコフン","","","市指定史跡","","","栃木県宇都宮市岩本町475他","",36,139,"","",1,"基","","宇都宮市","1977-12-12T00:00:00","","","","","","","6世紀半ば頃のと思われる前方後円墳で、北山古墳群のひとつ","","雷電山古墳は、前方部を南に向けて築かれた前方後円墳で、北山古墳群の一つである。古墳の上に河原石が葺かれ、後円部の頂には雷神を祀った祠(ほこら)が安置されている。明治時代の半ば頃に発掘調査が行われたが、出土した遺物については不明である。この古墳は埋葬施設である横穴式石室の特徴から、6世紀半ば頃に築かれたものと思われる。昭和52・12・12市指定<記念物(史跡)>","","",""],
[148,92011,148,"栃木県","宇都宮市","智賀都神社本殿 附 宮殿、木札","チカツジンジャホンデン ツケタリ クウデン、キフダ","","","市指定建造物","建造物","智賀都神社","栃木県宇都宮市徳次郎2478","",36,139,"","",1,"棟","","智賀都神社","2022-02-17T00:00:00","","","","","","","智賀都神社の本殿であり、17世紀後半~18世紀前半の県内地域の典型的な特徴を現在に伝える建造物","","本殿は、桁行3間、梁間2間の母屋に、1間の向背を設けた三間社流造であり、屋根の葺き替えなど一部修繕は行われているが、創建当時の形をよく残している。","","",""]
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