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<row _id="1"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>1</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>靄厓山人碑</名称><名称_カナ>アイガイサンジンヒ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>観専寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市材木町6-11</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>観専寺</所有者等><文化財指定日>1966-01-31T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>高久靄厓は、江戸時代後期の南画の大家で、その作品の多くは、県や市の文化財に指定されている。</概要><概要_英語 /><説明>高久靄厓（たかくあいがい）〔1796～1843〕は、江戸時代後期の南画（山水画のひとつ）の大家である。那須郡杉渡土（現在の黒磯市越堀）の農家に生まれ、27歳のときに江戸へ出て、渡辺崋山らとともに谷文晁（たにぶんちょう）の門人として才能を発揮し、その作品の多くは、県や市の文化財に指定されている。石碑は、1855（安政2）年、観専寺の黙雷上人（もくらいしょうにん）が建てたものであり、靄がいの人物・交友・業績などを明らかにしている。昭和41・1・31市指定＜有形文化財（考古資料）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="2"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>2</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>赤岩山のヒカゲツツジ群落</名称><名称_カナ>アカイワヤマノヒカゲツツジグンラク</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市古賀志町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>2002-03-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>赤岩山山頂の北東急斜面に生息し、4月下旬に黄色い花を咲かせる。乱獲により激減し、市内ではこの地域のみ群落が確認されている。</概要><概要_英語 /><説明>このヒカゲツツジは、赤岩山（標高528.7m）山頂の北東急斜面（斜度40～50度）の東西80m、南北50mの範囲に生息している。ヒカゲツツジは、ツツジ科の常緑低木で樹高約2m、黄色の花と一見シャクナゲに似る葉が特徴である。花は4月下旬に咲き、日当たりのやや悪い北側の急斜面に咲くのでこの名がある。近年の山野草ブームと黄色のサツキ作出のための遺伝資源としての価値の高さによる乱獲から、その数が激減しており、1970年代には、古賀志山、鞍掛山、大谷等の宇都宮市北西部山地の岩稜北面に生息していたが、現在市内で確認されている群落は、当地域のみとなっている。平成14・3・25市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="3"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>3</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>赤門のさくら</名称><名称_カナ>アカモンノサクラ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>慈光寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市塙田1丁目3-3</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>慈光寺</所有者等><文化財指定日>1992-03-23T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>市内で最も早く咲く彼岸ザクラで、春を告げるサクラとして親しまれている。</概要><概要_英語 /><説明>参道の石の欄干に食い込むように立っているヒガンザクラで、市内では最も早く咲くサクラである。例年、3月下旬から4月上旬にかけて見事な濃いピンクの花を開き、春を告げるサクラとして市民に親しまれている。1999（平成11）年、治療により支柱が加えられた。平成4・3・23市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="4"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>4</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>旭町の大いちょう</名称><名称_カナ>アサヒチョウノオオイチョウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市中央1丁目9-8</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1957-10-04T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>宇都宮城ゆかりの名木で、樹齢約400年と推定され、宇都宮市民のシンボルとなっている。</概要><概要_英語 /><説明>大いちょうは、宇都宮城の三の丸と百間堀（ひゃっけんぼり）の境の土塁の上にあり、宇都宮城ゆかりの名木である。樹齢約400年と推定され、宇都宮市民のシンボルとして多くの人々に愛されている。昭和32・10・4市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="5"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>5</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>飯山の獅子舞</名称><名称_カナ>イイヤマノシシマイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定無形文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称>阿蘇神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市飯山町993</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1971-11-24T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>天下一関白流と称する獅子舞で、毎年8月15日に飯山の阿蘇神社に奉納されている。</概要><概要_英語 /><説明>天下一関白流と称する獅子舞で、毎年8月15日に飯山の阿蘇神社に奉納されている。笛の音に合わせて腹につけた小太鼓を打ち鳴らしながら、太夫獅子・雄獅子・雌獅子の3匹で舞う一人立三匹である。901（延喜元）年、高座山（たかくらやま）にこもって領民を苦しめた山賊蔵宗・蔵保兄弟を、関白鎮守将軍藤原利仁が追討したという伝承にちなんだ獅子舞である。＜昭和46・11・24市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="6"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>6</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>石那田のウメ</名称><名称_カナ>イシナダノウメ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市石那田町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1989-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹齢約250年、樹高約6m、胸高周囲約3.4mの極めて稀な巨樹で、樹勢よく、毎年きれいな花を咲かせる。</概要><概要_英語 /><説明>1949（昭和24）年のキティ台風で北側にやや傾き、その状態のまま現在に至っている。地上約80cmのところで5本の大枝となって分かれ、主幹は割れてはいるものの、各大枝からまんべんなく旺盛に緑色の新枝を伸ばし、樹勢は良好である。樹齢約250年、樹高約6m、胸高周囲約3.4mで、胸高周囲が3mを越す巨樹は極めて稀なものである。平成元・3・22市指定＜天然記念物＞&lt;BR&gt;※ 個人の宅地内にあるため、見学には許可が必要。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="7"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>7</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>石那田八坂神社天王祭付祭屋台</名称><名称_カナ>イシナタヤサカジンジャテンノウサイツケマツリヤタイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市石那田町646他</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>式</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>2006-03-24T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>この天王祭は、数年に一度、7月17日～24日の期間行われ、地元6地区の屋台が繰り出す。</概要><概要_英語 /><説明>天王祭は、病気除けとして行われる牛頭天王（ごずてんのう）の祭である。石那田八坂神社では、数年に一度、7月17日～24日まで行われる。付祭は24日の夜に行われ、猿田彦（天狗）を先頭に、神輿・6地区（桑原・六本木・原坪・岡坪・仲根・坊村）の屋台が御仮屋（おかりや）から神社へと繰り出す。屋台は、江戸時代の終わりから明治時代にかけて作られた彫刻屋台で、彫刻は富田（現・大平町）に住んでいた磯邊敬信や後藤正秀、神山政五郎らの手によるものである。昭和49・3・1市指定＜民俗文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="8"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>8</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>稲荷古墳群</名称><名称_カナ>イナリコフングン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市上欠町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>4</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1985-03-20T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>6世紀後半から7世紀にかけて築造された、前方後円墳1基、円墳3基からなる古墳群</概要><概要_英語 /><説明>稲荷古墳群は、姿川右岸の丘陵上にあり、前方後円墳1基、円墳3基からなる古墳群である。発掘調査の結果、前方後円墳の横穴式石室から鉄刀等が発見され、墳丘からは埴輪が見つかった。6世紀後半から7世紀にかけて築造された古墳群であると考えられる。昭和60・3・20市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="9"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>9</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>宇都宮高校旧本館</名称><名称_カナ>ウツノミヤコウコウキュウホンカン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>登録有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>栃木県立宇都宮高校</場所名称><住所>栃木県宇都宮市滝の原3丁目5-70</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>栃木県</所有者等><文化財指定日>1998-07-23T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>栃木県内最古の学校建築で、当時、この本館が全国中学校のモデルになっていた。現在は宇都宮高校の教育資料の展示場所として一般公開している。</概要><概要_英語 /><説明>寄棟造の大屋根を架けた栃木県内最古の学校建築。元は敷地西側の正門正面にあったが、昭和43年及び昭和63年の2回の曳家を経て、現在は敷地の東端にある。1階には事務室・職員室・校長室などがあり、2階は広い講堂が大部分を占め、また、木材は日光杉並木の杉板を用いていると言われている。当時、この本館が全国中学校のモデルになっていたが、現在は滝の原会館として宇都宮高校の歴史を中心とした教育資料の展示場所として一般に公開している。なお、外壁が白いペンキで塗られているところから『白亜館』とも呼ばれ親しまれている。＜平成10・7・23国登録有形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="10"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>10</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>宇都宮城主戸田氏の墓所</名称><名称_カナ>ウツノミヤジョウシュトダシノボショ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称>英巖寺児童公園</場所名称><住所>栃木県宇都宮市花房本町2-7</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1971-02-24T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>英巌寺は戸田氏の墓所であったが、戊辰戦争で焼失、現在は公園になっており、その一角に墓碑が建つ。</概要><概要_英語 /><説明>戸田氏の墓所である英巌寺は、1711（宝永8）年に戸田忠真が宇都宮に入城した時に建てられたが、戊辰戦争で焼失して以来廃寺となってしまった。元々、墓はなく、位牌堂があった。ここに残る戸田氏の墓碑は、1908（明治41）年に東京牛込の松源寺（しょうげんじ）が移転になる際、同寺からこの地に改葬した際に建てられたもので、戸田氏の9代宇都宮城主忠恕（ただゆき）と、10代忠友だけが単独墓、他は合葬碑で、忠真の前に3代が加えられ11名となっている。昭和46・2・24市指定＜有形文化財（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="11"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>11</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>宇都宮聖ヨハネ教会聖堂</名称><名称_カナ>ウツノミヤセイヨハネキョウカイセイドウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>宇都宮聖ヨハネ教会聖堂</場所名称><住所>栃木県宇都宮市桜2丁目3-27</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>宗教法人日本聖公会北関東教区</所有者等><文化財指定日>2012-06-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>鉄筋コンクリート造、外壁に大谷石を用い、全体的に簡素であるが、内部はリズミカルな空間を創出している。</概要><概要_英語 /><説明>鉄筋コンクリート造りの教会堂で、礼拝堂部の架溝はシザートラスとなっている。聖公会の建物らしく全体に簡素であるが、内部は梁組みがリズミカルな空間を創出している。外部は大谷石を外壁全体に用い、礼拝堂の北東部に柱状の突出部を作っている角形平面の塔屋がアクセントとなっている。内外部の扉や窓部はすべてオリジナルで、当時の雰囲気を見事に現在へ伝えている。平成24・6・22市指定＜市指定文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="12"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>12</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>宇都宮中央女子高校赤レンガ倉庫（旧第六十六歩兵連隊倉庫）</名称><名称_カナ>ウツノミヤチュウオウジョシコウコウアカレンガソウコ（キュウダイロクジュウロクホヘイレンタイソウコ）</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>登録有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>栃木県立宇都宮中央女子高校</場所名称><住所>栃木県宇都宮市若草2丁目2-46</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>栃木県</所有者等><文化財指定日>2000-04-28T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1907年に宇都宮への旧陸軍第14師団設置に伴い建設。戦後、県立宇都宮中央女子高校が移転し、現在は多目的ホールとして使用されている。</概要><概要_英語 /><説明>この倉庫は、1907（明治40）年の宇都宮への旧陸軍第14師団設置に伴い、歩兵第66連隊の厨房関係施設として建設された。その後、66連隊の廃止により栃木県師範学校に引き継がれ、戦後は県立中央女子高が移転した。平成14年に改修が行われ、現在は多目的ホールとして使用されている。建物は、切妻造・平屋建で、外壁がイギリス積み煉瓦造、小屋組は木造トラスである。宇都宮に残る軍事関係施設のうち、唯一の明治期の建物である。＜平成12・4・28国登録＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="13"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>13</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>英巌寺のイヌツゲ</名称><名称_カナ>エイガンジノイヌツゲ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>英巖時児童公園</場所名称><住所>栃木県宇都宮市花房本町2-7</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1972-12-08T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>英巌寺は戊辰戦争で焼失したが、このイヌツゲが当時の様子を偲ばせる。5～6月に小さな白い花が咲く。</概要><概要_英語 /><説明>英巌寺は、1868（慶応4）年の戊辰戦争で焼失し、現在はイヌツゲだけが当時の様子を偲ばせてくれる。イヌツゲは、モチノキ科の木で、日本のほか中国に見られる。雄株と雌株の区別があり、5～6月に小さな白い花が咲く。普通あまり大きくならないので、庭木として利用され、このような大きなイヌツゲは大変に珍しい。昭和47・12・8市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="14"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>14</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>エドヒガン</名称><名称_カナ>エドヒガン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市石那田町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1967-03-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹齢約550年、樹高約19m、宇都宮随一の巨木で、毎年3月末に淡い紅色の美しい花をつける。</概要><概要_英語 /><説明>エドヒガンは、江戸のヒガンザクラという意味である。ときに高さ20mを超える大木となるものもあるが、この木は樹齢約550年、樹高約19mと、宇都宮随一の巨木で、幹は地上約5mのところで二つに分かれ、生育は良好である。3月末には淡い紅色の美しい花をつける。昭和42・3・25市指定＜記念物（天然記念物）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="15"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>15</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>延命院地蔵堂</名称><名称_カナ>エンメイインジゾウドウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>延命院</場所名称><住所>栃木県宇都宮市泉町4-30</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>延命院</所有者等><文化財指定日>1961-10-04T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代享保年間の建築で、宇都宮城内の拡張により現在地に移された。現存する市内最古の木造建築といわれる。</概要><概要_英語 /><説明>元々、城内にあった延命院は、宇都宮城主本多正純の城内拡張と町割りによって現在地へ移されたという。地蔵堂は、享保年間に芳賀郡田野辺村（現市貝町）の宮大工永野万右衛門が建築したもので、市内で最も古い木造建築といわれている。入母屋風の二重屋根（現在は瓦茸であるが以前は石茸）で、基礎は大谷石を二重積みにして土台に利用した珍しいもので、斗拱（ときょう）・欄間等にみられる彫刻は、特に優れたものと言われている。木造平家建・三間四面。＜昭和36・10・4市指定＞　また、堂内には全身金箔の木造地蔵菩薩立像が安置され、毎月24日の縁日に開帳されている。＜昭和28・11・10県指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="16"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>16</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>延命院のトチノキ</名称><名称_カナ>エンメイインノトチノキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>延命院</場所名称><住所>栃木県宇都宮市泉町4-30</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>延命院</所有者等><文化財指定日>1975-03-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹齢約350年、樹高約18mの巨木で、平成元年に「とちぎの名木100選」に選出</概要><概要_英語 /><説明>トチノキは、山地に生える落葉高木で、大きいものは高さ35m、直径4mにもなるといわるが、ここのトチノキは、樹齢約350年、樹高約18m、周囲約3.4mで、平地でこの大きさになるのは珍しく、1989（平成元）年「とちぎの名木100選」に選ばれた。昭和50・3・25市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="17"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>17</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>大塚古墳</名称><名称_カナ>オオツカコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市上戸祭町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1957-06-30T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>6世紀後半頃に築かれた大型の円墳で、墳丘は、高さ3.4mの第1段の上に高さ2.8mの第2段が載る2段式となっている。</概要><概要_英語 /><説明>宇都宮丘陵の南端の尾根に近い西側緩斜面に6世紀後半頃に築かれた大型の円墳である。墳丘は2段で、高さ3.4mの第1段の上に高さ2.8mの第2段が載っており、墳頂は約9mの範囲が平坦になっている。周溝は一部破損しているが、北西から東側にかけて残存し、その幅は約6.6m、深さ約1.3mである。昭和32・8・27県指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="18"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>18</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>オオバボダイジュ</名称><名称_カナ>オオバボダイジュ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市竹下町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1989-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹高約25mで、平地に自生するものとしては珍しい大木</概要><概要_英語 /><説明>オオバボダイジュは、北関東以北に分布する落葉高木で、山地に自生するのが一般的のため、平地にある大木は珍しい。樹高は約25mあり、以前は2本立ち並んでいたが強風のため1本は折損し、残った1本は樹勢良好である。平成元・3・22市指定＜記念物（天然記念物）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="19"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>19</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>大谷磨崖仏（石造　千手観音立像　一・石造　伝　釈迦三尊　三・石造　伝　薬師三尊　三・石造　伝　阿弥陀三尊　三）　　　　　　　　　　　　　　　　　</名称><名称_カナ>オオヤマガイブツ（セキゾウセンジュカンノンリュウゾウ　イチ・セキゾウデンシャカサンゾンゾウ　サン・セキゾウデンヤクシサンゾンゾウ　サン・セキゾウデンアミダサンゾンゾウ　サン）</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>特別史跡・重要文化財・名勝</文化財分類><種類 /><場所名称>大谷寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市大谷町1198</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>10</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>大谷寺</所有者等><文化財指定日>1967-06-30T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>通称「大谷観音」の名で知られる石造千手観音菩薩立像・石造伝釈迦三尊像・石造伝薬師三尊像・石造伝阿弥陀三尊像の10体である。</概要><概要_英語 /><説明>通称「大谷観音」の名で知られる石造千手観音菩薩立像・石造伝釈迦三尊像・石造伝薬師三尊像・石造伝阿弥陀三尊像の10体である。中でも千手観音像は、弘法大師一夜の作と伝えられ、構造から見ると、先ず岩壁面に大体の像容を荒彫りに刻み、その表面に粘土を着せたもので、石心塑造ともいうべき珍しいものである。像全体を細部に至るまで、粘土を着せて整えてからは、その上に漆下地を施して補強し、さらに色彩をして完成したものである。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="20"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>20</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>岡本家住宅（主屋・長屋門）</名称><名称_カナ>オカモトケジュウタク（オモヤ・ナガヤモン）</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>重要文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市下岡本町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>2</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1968-04-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代中期建築の農家住宅。2棟の茅葺き屋根が並んだ形が特徴</概要><概要_英語 /><説明>岡本家住宅は、母屋が南に面して建ち、中央に玄関、東側に客間座敷を配し、その西北に寝室や馬屋・勝手・風呂場を設け、正面の玄関奥と裏の寝室が屋根続きとなっている。勝手・土間も広く馬屋に続いて、風呂場があったが、今は少し改造されて背面に置かれている。建築年代ははっきりしないが、1714（正徳4）年の護摩札があり、江戸時代中期の建築であると考えられる。この建物の特徴は、茅葺き屋根の2棟が並んだ形で、軒付下には色違いに稲・麦藁を段違いに重ね、小屋梁は細い曲材を用いていることである。玄関・客間・座敷等は当時のままで、長押の釘隠し等も特徴的である。ただし、屋根の煙出しは後世のものと思われる。長屋門は県内に共通した切妻造りのもので、同年代のものとして貴重な建造物である。＜昭43・4・25国指定重要文化財建造物＞&lt;BR&gt;※見学には、所有者の許可が必要。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="21"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>21</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>岡本城跡</名称><名称_カナ>オカモトジョウセキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市中岡本町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1970-04-01T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>南北朝時代に岡本信濃守富高が築造したといわれる平山城で、1597年の宇都宮氏滅亡とともに廃城となった。現在、土塁濠や堀などが保存されている。</概要><概要_英語 /><説明>中岡本根古屋にある鬼怒川右岸段丘を利用した平山城（ひらやまじろ）で、南北朝時代に岡本信濃守富高が築造したといわれ、宇都宮氏の支城として宇都宮東部の守りについていたが、慶長2年（1597）宇都宮氏の滅亡とともに廃城となったと伝えられる。現在、土塁や堀などが保存されている。なお、根古屋という地名は、武士たちの居住地、すなわち寝小屋があったことに由来するとも考えられる。＜昭和45・4・1国指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="22"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>22</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>刑部城跡</名称><名称_カナ>オサカベジョウセキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市東刑部町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1957-06-03T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>宇都宮頼綱の子孫良業が、刑部氏を名乗り、ここを居館としたと伝えられる。</概要><概要_英語 /><説明>宇都宮第5代城主宇都宮頼綱の2男頼業の子孫良業が、応永年間（1394年～1427年）にこの地を領し刑部（おさかべ）氏を名乗り、代々ここが居館であったと伝えられている。現在、館跡は約60アールで、内濠、外濠および土塁跡の一部が見られる。昭和32・6・3市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="23"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>23</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>おしどり塚</名称><名称_カナ>オシドリヅカ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市一番町1-19</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1964-05-28T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>鎌倉時代に、無住法師が書いた「沙石集」にある物語の旧跡地で、おしどり塚児童公園内に、塚の由来を記した碑が建つ。</概要><概要_英語 /><説明>鎌倉時代に、無住法師が書いた「沙石集」によって紹介された物語の旧跡地である。塚の遺跡は、おしどり塚児童公園の東北隅にあり、付近は花木、石等によって整備されているほか、塚の由来を記した碑も建てられている。内容は、求喰川（あさりがわ）を舞台とした一つがいのおしどりと漁師のいきさつと建碑にいたる経過を記している。なお、この碑の建立は1894（明治27）年。昭和39・5・29市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="24"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>24</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>御止山</名称><名称_カナ>オトメヤマ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称>大谷寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市大谷町1198</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>大谷寺</所有者等><文化財指定日>2006-07-28T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>姿川に沿った大谷奇岩群の南端付近に位置し、その高さや広がりなど独特の風景を見せている。</概要><概要_英語 /><説明>大谷石は、約2400万年前の海底火山の噴出によりできた凝灰岩で、この凝灰岩の奇岩群が創り出した独特の風景が、江戸時代後期の紀行文をはじめ、川上澄生の版画、山口青邨の俳句などにも紹介されている。自然の景勝地であるとともに、芸術上、鑑賞上の価値が高い。御止山は姿川に沿った奇岩群の南端付近に位置し、大谷景観公園から、この奇岩の高さと広がりを展望することができる。頂上には、大正天皇が皇太子時代に訪れた際に大谷の景観を賞賛されたことを記した石碑が建っている。＜平18・7・28国指定名勝＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="25"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>25</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>小野口家住宅(長屋門・前の蔵・旧乾燥小屋・堆肥舎・裏の蔵・旧酒蔵）</名称><名称_カナ>オノグチケジュウタク（ナガヤモン・マエノクラ・キュウカンソウゴヤ・タイヒシャ・ウラノクラ・キュウサカグラ）</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>登録有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市田野町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>6</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1999-10-14T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>小野口家は、江戸時代より名主を務めた旧家で、この屋敷は江戸時代から大正時代にかけ建てられ、主屋を囲むように6棟の石造建造物が並び、典型的な豪農の屋敷構えを残している。</概要><概要_英語 /><説明>小野口家は、江戸時代には名主を務めた旧家である。主屋を囲むように6棟の石造建造物（長屋門、前の蔵、旧乾燥蔵、旧堆肥舎、裏の蔵、旧酒蔵）が並び、宇都宮近辺における典型的な豪農の屋敷構えを残している。各建物は、江戸時代の1825（文政8）年から明治・大正時代にかけて建てられ、この地方で産出される大谷石のほか、通称「板橋石」（旧今市市板橋で採掘）・「徳次郎石」（徳次郎町で採掘）という石材を用いて巧みに造られ、デザイン面からも優れた建造物といえる。平成11・10・14国登録＜有形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="26"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>26</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>およりの鐘</名称><名称_カナ>オヨリノカネ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類 /><場所名称>宝蔵寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市大通り4丁目2-12</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>口</単位><法人番号 /><所有者等>宝蔵寺</所有者等><文化財指定日>1984-03-21T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>元は宇都宮氏の滅亡により廃寺となった東勝寺にあったもので、江戸時代、夕暮れに鳴らされたことから「およりの鐘」として親しまれた。</概要><概要_英語 /><説明>この鐘は、高さ117cm、口径81cm、宇都宮氏の滅亡によって廃寺となった東勝寺（日野町通り北側一帯の地）にあったものである。江戸時代には夕暮れになると鳴らされたため、「およりの鐘」として親しまれた。「おより（御寝り）」とは「お休みになる」の意味である。鋳造年代は不明であるが、鐘の中帯に宇都宮氏の家紋「三つ巴」が20個ほどついているため、宇都宮氏の寄進によるものと思われる。この鐘は、その後、様々ないきさつをたどり、1944（昭和19）年、宝蔵寺へ移され今に至っている。昭和59・3・21市指定＜有形文化財（歴史資料）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="27"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>27</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>カトリック松が峰教会</名称><名称_カナ>カトリックマツガミネキョウカイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>登録有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>カトリック松が峰教会</場所名称><住所>栃木県宇都宮市宇都宮市松が峰1丁目1-5</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>カトリック浦和教区</所有者等><文化財指定日>1998-12-11T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>昭和7年建築の大谷石造聖堂。日本では数少ない双塔を持ち、ロマネスク様式の装飾も随所に見られる。</概要><概要_英語 /><説明>設計者のマックス・ヒンデルは大正末期から昭和初期まで日本に滞在し、函館市のトラピスティヌ修道院などを設計した人物である。この教会の設計にあたっては、故郷のスイス最大のロマネスク建築であるグロスミュンスター大寺院を思いながら、地元の大谷石を用いたと言われている。日本では数少ない双塔を持ち、大谷石外壁のそこかしこにロマネスク様式の装飾を入れている。昭和20年の宇都宮空襲において、屋根と礼拝堂が被災し焼失してしまったが、戦後すぐに復元を果たした。＜平成10・12・11国登録＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="28"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>28</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>上神主・茂原官衙遺跡</名称><名称_カナ>カミコウヌシ・モバラカンガイセキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市茂原町588-1外</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>2003-08-27T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>当初、奈良時代の寺院跡と考えられていたが、建物の配置や規模、数などから、古代の役所「河内郡衙（かわちぐんが）」跡である可能性が高いといわれる。</概要><概要_英語 /><説明>宇都宮市と上三川町にまたがる奈良時代の遺跡である。人名を記した瓦が出土したことから、長い間寺院跡と考えられ、「上神主廃寺」または「茂原廃寺」と呼ばれてきたが、発掘調査により、「政庁」と考えられる「コ」の字状に配置された建物や、当時としては珍しい瓦葺屋根の大きな建物、「正倉」と思われる整然と並んだ多数の倉庫があったことが判明し、寺院跡ではなく、古代の河内郡を治めていた役所「河内郡衙（かわちぐんが）」の跡である可能性が高くなった。また、遺跡のすぐそばを「東山道」という当時の幹線道路が通じていたことも確認されるなど、古代の地方政治を考えるうえで重要な遺跡であることがわかってきた。＜平成15・8・27国指定史跡＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="29"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>29</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>上籠谷のフジ</名称><名称_カナ>カミコモリヤノフジ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市上籠谷町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1993-11-29T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>約12m四方の藤棚で栽培され、5月頃に見事な花を咲かせる。</概要><概要_英語 /><説明>このフジは、ノダフジと呼ばれる品類で、本州・九州・四国の山野に自生し、観賞用としても栽培される落葉つる植物である。約12m四方の藤棚で栽培され、例年5月頃に、1.5m以上の花房を伸ばし数多くの花を咲かせる。平成5・11・29市指定＜天然記念物＞&lt;BR&gt;※ 個人の宅地内にあるため、見学には許可が必要。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="30"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>30</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>上徳次郎のケヤキ</名称><名称_カナ>カミトクジラノケヤキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市徳次郎町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>2005-11-07T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>「宇都宮の名木」に選ばれ、推定樹齢700年の地元ゆかりの巨木。智賀都神社のケヤキと同程度の大きさから、兄弟と言い伝えられる。</概要><概要_英語 /><説明>「宇都宮の名木」に選ばれ、推定樹齢700年、地元では古くから知られている巨木である。県指定天然記念物「智賀都神社のケヤキ」から北西約500mに位置し、この樹木と同程度であるためか、智賀都神社のケヤキの兄弟と言い伝えられている。樹高約33m、目通り周囲約8mで、県内の市町村指定のケヤキの中でも最大で、大きな腐朽部もなく樹勢は極めて良好である。主幹は大きな分岐もなく中央を直上し、古木であるにもかかわらずケヤキ特有の精美な円錐形を呈している。昭和35年頃の台風により枝が折損し、その樹洞からイロハモミジが生育し、彩を添えている。平成17・11・7市指定＜天然記念物＞&lt;BR&gt;※ 個人の宅地内にあるため、見学には許可が必要。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="31"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>31</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>上横倉の獅子舞</名称><名称_カナ>カミヨコクラノシシマイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定無形文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称>多藤神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市上横倉町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1991-02-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代中期に関白村（現・宇都宮市関白町）から伝授された一人三匹獅子舞で、8月15日などに多籐神社境内で奉納される。</概要><概要_英語 /><説明>市内の他の3団体と同じ風流系、一人立三匹獅子舞である。関白村（現河内町関白）の高座山（たかくらやま）神社から江戸時代中期に伝授されたと伝えられ、関白流を名乗っている。獅子舞の上演は、8月15日とその後の風祭りの日に多籐神社（たとうじんじゃ）境内で奉納されるほか、11月3日前後の地区文化祭で上演される。8月15日の上演時には、神宮を先頭にして神社に向かう街道流しの形態も残っている。平成3・2・22市指定＜無形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="32"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>32</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>蒲生君平勅旌碑</名称><名称_カナ>ガモウクンペイチョクセイヒ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市花房3丁目3-35</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1961-09-18T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>蒲生君平の功績をたたえ、明治天皇の勅命により建立されたもの</概要><概要_英語 /><説明>蒲生君平は、高山彦九郎・林子平とともに「寛政の三奇人」の1人といわれ、1768（明和5）年に旧新石町に生まれた。歴代天皇の御陵を調査した『山陵志』を著し修復の必要性を説き、また、朝廷の官職についてまとめた『職官志』の著者として有名である。この碑は、蒲生君平の著書や行いが明治維新に大きな功績があったとして、明治天皇の「君平のひととなりはまことに立派であるから、これを広く天下に表して庶民に知らせるように」との勅命により、藩知事戸田忠友が奉行として、宇都宮の入口であるこの地に建てたものである。内容は「この地が蒲生君平の里である」というもの。君平は、1813（文化10）年に46歳で没した。昭和36・9・18市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="33"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>33</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>瓦塚古墳</名称><名称_カナ>カワラヅカコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市長岡町1182-4</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1995-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>6世紀後半頃に造られた前方後円墳。付近にはかつて40基を超える円墳が存在し、市内最大規模の古墳群を形成している。</概要><概要_英語 /><説明>瓦塚古墳は、前方部を南西に向けた前方後円墳で、周囲を見下ろすような丘陵の上に築かれている。付近にはかつて40基を超える円墳が存在し、宇都宮市内では最大の古墳群を形成している。1898（明治31）年に発掘調査が行われ、埋葬施設の横穴式石室から、武器・馬具・装身具等が出土し、古墳の裾部あたりからは、円筒埴輪や人物・馬などをかたどった形象埴輪が出土している。これらの遺物により、6世紀後半頃に築かれたものと思われる。平成7・3・22市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="34"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>34</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>瓦谷の神楽</名称><名称_カナ>カワラヤノカグラ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定無形文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称>平野神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市瓦谷町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1969-02-13T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>昭和17年製造・昭和53年廃車。往時の姿のまま、駅東公園で保存・展示</概要><概要_英語 /><説明>旧国鉄の機関車EF57型7号機として、1942（昭和17）年に製造され、1978（昭和53）年に宇都宮運転所で廃車となるまで、36年間運行された。この間、東海道線、上越線、東北線で特急・急行列車などを牽引し、走行距離は346万キロに及んだ。陸上輸送を担った機関車として、駅東公園で保存されている。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="35"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>35</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>関白獅子舞</名称><名称_カナ>カンパクシシマイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定民俗文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称>関白山神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市関白町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1977-07-29T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>県内の関白流獅子舞の始祖とされ、悪魔祓い・家内安全・厄難消除の舞として毎年8月第一土曜日に関白山神社に奉納される。</概要><概要_英語 /><説明>県下に広く分布する関白流獅子舞の始祖とされ、関白町の関白山神社に悪魔祓い・家内安全・厄難消除の舞として、毎年8月第一土曜日に奉納されている。都から賊退治を命じられた藤原利仁の葬儀の折、一天にわかにかき曇り、辺り一面闇夜のようになったため、3匹の獅子を舞わせたところ、天候が戻ったという伝説に由来するという。関白獅子舞は、神社境内に四方のしめ縄を張り、中にモミガラを撒いたところで、腹につけた小太鼓を打ち鳴らしながら雄2匹、雌1匹で舞う一人立三匹獅子舞で、その演目は平庭、蒔寄、唐土の舞、弓くぐり、芝隠し、御子舞の6庭である。中でも、御子舞は賊を鬼に利仁と家臣が獅子となって鬼を退治する物語となっている。＜昭和52・7・29県指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="36"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>36</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>旧大谷公会堂</名称><名称_カナ>キュウオオヤコウカイドウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>登録有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市大谷町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>2004-02-17T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>大正末期から昭和初期にかけて旧城山村の公会堂として建築された。地元産の大谷石を使い、正面の4本の柱が特徴的</概要><概要_英語 /><説明>旧大谷公会堂は、大正末期から昭和初期にかけて旧城山村の公会堂として建築され、その後城山在郷軍人会館等として利用され、現在は宇都宮市の倉庫となっている。地元産の大谷石を構造体とした公会堂建築で、大谷石造平家建・スレート葺、建築面積209㎡で、栃木県の設計事務所の草分けである更田時蔵の設計である。この建物の特徴は、正面妻側の4本の付け柱（ピラスター）で、柱にはロマネスク建築に用いられている幾何学的な文様が彫り込まれ装飾されている。特に中央の2本の柱は、通しの形となっている。小屋組は、洋小屋（キングポスト）で組んであり、建築当初は桟瓦葺きであったと思われる。＜平成16・2・17国登録文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="37"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>37</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>旧篠原家住宅（主屋・新蔵・附南北石塀）</名称><名称_カナ>キュウシノハラケジュウタク（オモヤ・シングラ・ツケタリナンボクイシベイ）</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>重要文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市今泉1丁目4-33</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>2</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>2000-05-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>宇都宮で有力な商家であった旧篠原家の住宅で、明治28年建築の、大規模かつ豪壮な造りの典型的な豪商の家</概要><概要_英語 /><説明>篠原家は、昭和戦前まで醤油醸造業・肥料商を営んでおり、宇都宮でも有力な商家の一つであった。旧篠原家住宅は、1895（明治28）年に建てられ、店舗と住居部分を一体化した蔵造りになっている。江戸期から明治期にかけて、商家では防火を意識した店構えなどから土蔵造りが流行したが、この住宅は規模が大きく、大黒柱や梁など構造部分の造りも豪壮で、財力に十分なゆとりのある商人のみが造り得たものであり、典型的な豪商の家の造りである。＜平成12・5・25国指定重要文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="38"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>38</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>吉良八郎の碑</名称><名称_カナ>キラハチロウノヒ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市桑島町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1991-09-20T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>二宮尊徳の門人・吉良八郎が、旧桑島村の開田や災害復旧などの指導をした功績をたたえ建てられたもの</概要><概要_英語 /><説明>吉良八郎は、二宮尊徳の門人で各地で農村復興を手がけ、桑島村（現在の宇都宮市桑島町）でも開田や災害復旧の指導をした。この碑は、その功績を顕彰するため、1879（明治12）年八郎の七回忌に建てられたものである。昭和42・3・25市指定＜有形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="39"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>39</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>クロコムラサキおよびその生息地</名称><名称_カナ>クロコムラサキオヨビソノセイソクチ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>柳田緑地</場所名称><住所>栃木県宇都宮市柳田町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1973-07-17T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>全国的にも生息範囲が限られる、黒色のコムラサキ（蝶）の生息地</概要><概要_英語 /><説明>クロコムラサキは、コムラサキ（タテハチョウ科）に遺伝的に現れる黒色型である。幼虫はヤナギ類の葉を食べて成長し、成虫になるとヤナギ・クヌギなどの樹液に集まる。全国的にも生息する範囲は限られているが、鬼怒川右岸の柳田緑地内には、幼虫の食料となるヤナギが多いほか、越冬地として適当な条件を具えているため、生息しているものと考えられる。昭和48・7・17市指定＜天然記念物＞&lt;BR&gt;※ 生息地内への立ち入りはご遠慮下さい。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="40"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>40</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>桑名三平勝乗の墓碑</名称><名称_カナ>クワナサンペイカツノリノボヒ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市今里町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>2</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1991-09-20T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>桑名三平勝乗は、1660（万治3）年～1668（寛文8）年に奥平氏の家老を務めた。三平の死後、三平の子兵部が真諦寺の莢高院殿の墓碑脇に分骨し墓を建立したものと考えられている。</概要><概要_英語 /><説明>桑名三平勝乗は、1660（万治3）年～1668（寛文8）年に奥平氏の家老を務め、1685（貞享2）年に奥平氏が山形より宇都宮に復帰の際、1200石を拝領、今里村・宮山田村・土屋山田村・砥上村・宝積寺村・西水沼村・東水沼村の七か村を領有。1698（元禄11）年3月27日丹後宮津において死去（72歳）三平の死後、三平の子兵部が真諦寺の莢高院殿の墓碑脇に分骨し墓を建立したものと考えられている。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="41"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>41</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>けやき　　　　</名称><名称_カナ>ケヤキ　　　　</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>智賀都神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市徳次郎2478</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>2</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>智賀都神社</所有者等><文化財指定日>1954-09-07T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>智賀都神社の参道の両側に立ち、2本とも、高さ約40m、樹齢約700年と言われる。</概要><概要_英語 /><説明>この2本のけやきは、徳次郎智賀都神社の参道の両側に立っており、樹高は2本とも約40m、目通り周囲は東側の株約8m、西側の株約7.3mで、樹齢は約700年といわれている。西側の株は天に向かい、東側の株は天を受けるように枝を広げている。昭和29・9・7県指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="42"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>42</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>光明山摂取院寶蔵寺不動堂（観音堂）</名称><名称_カナ>コウミョウザンセッシュインホウゾウジフドウドウ（カンノンドウ）</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市認定建造物</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>宝蔵寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市大通り4丁目2-12</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>宝蔵寺</所有者等><文化財指定日>2003-03-27T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1788年創建と言われ、小規模であるが彫刻類等が豊富で、仏堂建築として優れた価値がある。</概要><概要_英語 /><説明>光明山摂取院寶蔵寺不動堂（観音堂）は、市認定建造物制度施行（平成14・10・1）後、認定建造物第1号に認定した建造物である。創建が1788（天明8）年といわれるこの不動堂は、唐様を基調とし、絵様や建具など中世以降から伝えられる建築技術を踏襲し、小規模にしては彫刻類も豊富で、仏堂建築として見るべき建築要素を数多く含んでおり、意匠的に優れた価値を有する建造物である。＜平成15・3・27市認定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="43"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>43</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>コウヤマキ</名称><名称_カナ>コウヤマキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市篠井町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1960-01-28T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹齢約300年、樹高約30mで、市内では稀に見る巨木</概要><概要_英語 /><説明>コウヤマキは、我が国特産の常緑針葉高木で福島県以南から四国、九州の海抜600～1300mの山地に分布し、特に紀州（和歌山県）の高野山に多いことからこの名前がある。水に強く、風呂桶、橋、流し板などの建築資材や庭園・寺院などの庭木用として用いられている。このコウヤマキは、植栽されたものであるが、樹齢約300年、樹高約30mと市内では稀に見る巨木である。昭和35・1・28市指定＜天然記念物＞&lt;BR&gt;※ 個人の宅地内にあるため、見学には許可が必要。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="44"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>44</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>広琳寺のシダレザクラ　</名称><名称_カナ>コウリンジノシダレザクラ　</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>広琳寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市平出町1673</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>広琳寺</所有者等><文化財指定日>1973-03-20T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>地上約5mの高さで4本の枝に分かれた、傘型の見事な樹形が見られる。</概要><概要_英語 /><説明>広琳寺のシダレザクラは、高さ約12m、目通り周囲約2mで、地上から約5mの高さで4本の枝に分かれ、傘型の見事な樹形をしている。樹勢は良好で、毎年4月にたくさんの花を咲かせる。昭和48・3・20市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="45"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>45</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>越路岩</名称><名称_カナ>コシジイワ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>名勝</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市大谷町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>2006-07-28T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>姿川に沿った奇岩群の北端に位置し、岩体に松の木などが茂っている様子から、「陸の松島」と呼ばれる大谷の奇岩群をコンパクトに表している。</概要><概要_英語 /><説明>大谷石は、約2400万年前の海底火山の噴出によりできた凝灰岩で、この凝灰岩の奇岩群が創り出した独特の風景が、江戸時代後期の紀行文をはじめ、川上澄生の版画、山口青邨の俳句などにも紹介されている。自然の景勝地であるとともに、芸術上、鑑賞上の価値が高い。越路岩は、姿川に沿った奇岩群の北端に位置し、姿川が東向きから南向きに流れを大きく変える地点の右岸にそびえる独立奇岩である。特に北東や北からの眺望が優れており、前面の水田に水を配した、春先の代掻きの時期には、あたかも奇岩が海面にそびえ立っているように見える。また、岩体に松の木などが茂っている様子から、「陸の松島」と呼ばれる大谷の奇岩群をコンパクトに表している景観である。＜平18・7・28国指定名勝＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="46"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>46</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>権現山古墳</名称><名称_カナ>ゴンゲンヤマコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市岩本町464他</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1977-12-12T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>6世紀半ば頃に築かれた北山古墳群最大の前方後円墳で、市内最古級の横穴式石室をもつ</概要><概要_英語 /><説明>権現山古墳は、前方部を南西に向けて築かれた前方後円墳で、北山古墳群の中で最大、古くは塚穴と呼ばれ、宇都宮市内では最も古い横穴式石室の一つといわれている。1986（昭和61）年、後円部の横穴式石室が発掘調査され、割石で築かれた長大な埋葬施設であることが明らかにされた。横穴式石室の特徴や出土した円筒埴輪・馬形埴輪から、6世紀半ば頃に築かれたものと思われる。昭和52・12・12市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="47"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>47</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>金剛定寺のカヤ　　</名称><名称_カナ>コンゴウジョウジノカヤ　　</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>金剛定寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市上桑島町1041</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>金剛定寺</所有者等><文化財指定日>1988-12-26T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>県内でも珍しい樹高約19mの巨木</概要><概要_英語 /><説明>カヤは、本州の関東以西から九州にかけて自生する常緑高木である。金剛定寺のカヤは、樹高が約19mに及ぶ巨木で、広大な樹冠を持ち均整の取れた姿をしている。このような大木は少なく、県内でも珍しい。昭和63・12・27県指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="48"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>48</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>逆面城跡</名称><名称_カナ>サカヅラジョウセキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市逆面町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1970-04-01T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>宇都宮氏の家臣の逆面氏の城で、室町期の築城であると推定され、空濠・土塁がよく残されている。</概要><概要_英語 /><説明>逆面自治会桜井家の裏山一帯にかけて構築された城で、東部は山田川の流れと30mの急崖という天然の防壁に守られた山城である。宇都宮氏の家臣・逆面氏の城で、室町期の築城であると推定されており、空濠・土塁がよく残されている。＜昭和45・4・1市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="49"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>49</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>下ヶ橋の三ツ股カヤ</名称><名称_カナ>サゲハシノミツマタカヤ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市下ケ橋町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1971-05-14T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹齢約500余年、高さ約18.5m、周囲約5.1m、枝張り東西約16m・南北約16mの榧（かや）で、地上1.5mの所で3本に大きく枝分かれしていることから「みつまたかや」と呼ばれている。</概要><概要_英語 /><説明>推定樹齢約500余年、高さ約18.5m、目通周囲約5.1m、枝張り東西約16m・南北約16mの、東下ヶ橋（ひがしさげはし）自治会の郷間家母屋の北側にある榧（かや）で、地上1.5mの所で3本に大きく枝分かれしているため「みつまたかや」と呼ばれている。樹高は低いが全体の姿が見事であり、樹勢も盛んである。なお、1723（享保8）年に起きた「五十里洪水」の時に、近在の十数人がこの木に登り難を逃れたと伝えられている。＜昭和46・5・14県指定＞&lt;BR&gt;※ 個人の宅地内にあるため、見学には許可が必要。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="50"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>50</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>笹塚古墳</名称><名称_カナ>ササヅカコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市東谷町414他</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1957-06-30T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>5世紀に築かれた、全長約100mの市内最大の前方後円墳。墳丘の周辺から円筒埴輪や土師器などが出土している。</概要><概要_英語 /><説明>この古墳は、前方部を西に向けて築かれた前方後円墳で、全長が約100mと市内最大の古墳である。周溝は現在水田になっているが、畔道の様子から盾形であったことがわかり、墳丘の周辺から円筒埴輪や土師器などが出土している。5世紀の本格的な前方後円墳としては県内でも比較的早い時期に築かれたもので、古墳文化を知る上で重要な古墳である。昭和32・6・30県指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="51"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>51</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>三十八間星兜</名称><名称_カナ>サンジュウハチケンホシカブト</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>重要美術</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>二荒山神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市馬場通り1丁目1-1</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>二荒山神社</所有者等><文化財指定日>1969-02-13T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>南北朝時代の鉄製の兜で、その星の形から「星兜」と呼ばれている。</概要><概要_英語 /><説明>この兜は、鉄の地板をはぎ合わせて鋲（びょう）を裏から打ったもので、それが星の形をしているため「星兜」という名前がついている。兜の頂部を八幡座といい、ここに小菊の模様が彫られている。作者は不明であるが、南北朝時代（14世紀頃）の作と考えられている。高さ約18cm、口径約21cm、重さ約9kg　＜昭和9・9・1国認定重要美術品＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="52"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>52</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>サンシュユ</名称><名称_カナ>サンシュユ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市大曽町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1978-09-29T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹齢約200年の全国的にも最古に属する古木</概要><概要_英語 /><説明>樹高6.5m、枝張東西6m、南北5.5m、樹齢約200年で、全国的にも最古に属する古木。昭和53・9・29市指定＜記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="53"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>53</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>山門</名称><名称_カナ>サンモン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>清泉寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市下小倉町1529</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>清泉寺</所有者等><文化財指定日>1993-10-01T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>欅材の四脚門で、四方の柱上部に獅子頭、虹梁中央部に通称「力持ちの像」がある。</概要><概要_英語 /><説明>清泉寺入口にある欅材の四脚門で、四方の柱上部に獅子頭があり、組物としては薬師堂と同じ枡組構造となっており、虹梁中央部に通称「力持ちの像」がある。＜平成5・10・1市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="54"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>54</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>下栗大塚古墳</名称><名称_カナ>シモグリオオツカコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市下栗町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1995-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>古墳時代末期に築かれた直径約44mの大型の円墳</概要><概要_英語 /><説明>この古墳は、低地に築かれた直径約44mの円墳で、墳丘は2段になっており、中段に幅4～5mの平坦面がめぐっている。埋葬施設は不明であるが、墳丘南側に横穴式石室がある可能性が高いと思われる。大型の円墳であり、埴輪が確認されていないことから古墳時代終末期（7世紀）に築かれたものと考えられる。平成7・3・22市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="55"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>55</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>しだれこうやまき</名称><名称_カナ>シダレコウヤマキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市下岡本町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1977-07-29T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹齢約200余年、高さ約19m、周囲約1.85mの高野槙で、主幹中央部付近から2つに枝が分かれ、そのほとんどが枝垂ており、全国的に見ても非常に珍しい。</概要><概要_英語 /><説明>推定樹齢約200余年、高さ約19m、目通周囲約1.85m、枝張り東西約18m・南北約8mの北組南部の五月女家前庭にある枝垂性の高野槙。この樹木は、主幹中央部付近から2つに枝分かれしている大木で、枝のほとんどが枝垂ているため、全国的に見ても非常に珍しい。＜昭和52・7・29県指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="56"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>56</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>篠井神祠</名称><名称_カナ>シノイシンシ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市篠井町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1967-03-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1667年奉納の石製の祠で、銅製扉に日光山に寄進を行った際の寄進品目などの記録が刻まれている。</概要><概要_英語 /><説明>この神祠は、1667（寛文7）年に奉納されたもので、鉄製の扉には、日光山への寄進場所と品目が刻み込まれている。品目の中には高価なものがあり、強い日光信仰によって結ばれた講（集団参詣の組織）が寄進したものと思われる。覚書の中には「宇都宮外久次良大明神鰐口･･････」と刻んだものがあり、この大明神とは徳次郎智賀都神社（とくじらちかつじんじゃ）のことで、「徳次郎」の地名は「外久次良」が転じたものといわれている。昭和42・3・25市指定＜有形文化財（考古資料）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="57"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>57</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>紙本墨書新式和歌集</名称><名称_カナ>シホンボクショシンシキワカシュウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>二荒山神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市馬場通り1丁目1-1</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>二荒山神社</所有者等><文化財指定日>1969-02-13T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>藤原定家の孫である藤原為氏が編集した和歌集といわれ、これは1672年作の写本</概要><概要_英語 /><説明>この和歌集は、宇都宮氏と姻戚関係にあった藤原定家の孫である藤原為氏が編集したものといわれ、186人、875首の歌が収められている。その中には、宇都宮一族をはじめとして源実朝・藤原定家など、鎌倉や京都の歌人の歌も多数みられ、宇都宮一族が幅広く文化人と交際していたことを示す貴重な記録である。1672（寛文12）年のこの古写本は、1833（天保4）年8月に伴義章によって、二荒山神社へ奉納されたものである。　＜昭和33・5・15市指定有形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="58"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>58</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>下小倉下組大杉</名称><名称_カナ>シモコグラシモグミオオスギ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市下小倉町1849</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1976-09-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>推定樹齢400年、樹高18ｍの大杉。1723年の五十里洪水の際、この大杉の付近は水につからず、人々の命を救ったといわれている。</概要><概要_英語 /><説明>推定樹齢400年、樹高18m、目通周囲3.8m。雪がつきにくいよう枝が下に垂れるのが特徴の日本海側で多く見られるウラスギで、太平洋側では極めて珍しい。1723（享保8）年の五十里洪水の際、一面濁流の中、この大杉のところだけは水につからず、人々の命を救ったといわれ、以降、近隣の人々の厚い信仰を受け続けている。＜昭和51・9・22市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="59"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>59</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>下篠井のイヌシデ</名称><名称_カナ>シモシノイノイヌシデ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市篠井町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1997-03-21T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>高さ約15.5m、周囲約2.66mの大木で、四季折々の変化に満ち、地元の人々から親しまれている。</概要><概要_英語 /><説明>イヌシデはカバノキ科の落葉広葉樹で、関東地方では雑木林を構成する主な木々の1つである。通常、高さ12～15m、直径0.5mほどであるが、このイヌシデは、高さ約15.5m、周囲約2.66mもあり、このような大木は珍しい。約60度の角度で南側に傾いたように枝を広げ、春には若葉が美しく、真夏を過ぎる頃にはたくさんの実を飛ばし、秋には葉が黄色く色づくなど、地元の人々から親しまれている。平成9・3・21市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="60"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>60</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>祥雲寺のシダレザクラ</名称><名称_カナ>ショウウンジノシダレザクラ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>祥雲寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市東戸祭1丁目1-16</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>祥雲寺</所有者等><文化財指定日>1957-06-30T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代初期に本堂再建の記念として植えられた、樹齢約300年の県内を代表するシダレザクラの巨木</概要><概要_英語 /><説明>このシダレザクラは、江戸初期の明暦年間（1655年～1658年）、祥雲寺本堂再建の記念として植えられたものという。1948（昭和23）年、本堂の火災の折、枝の北側の一部が焼失したが、1974（昭和49）年、枯れた部分を切り取り、根元に肥料を施したところ、近年見事に花をつけるようになった。開花は3月下旬頃で、樹齢約300年、樹高約7m、目通周囲約5mの県内では代表的なシダレザクラの巨木である。昭和32・8・30県指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="61"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>61</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>成願寺のいちょう　　</名称><名称_カナ>ジョウガンジノイチョウ　　</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>成願寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市西刑部町1133</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>成願寺</所有者等><文化財指定日>1958-01-24T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>鎌倉時代の武士・安達藤九郎盛長が植えたという伝説のある樹高約30mの巨木</概要><概要_英語 /><説明>このイチョウは樹高30mに及ぶ巨木で、老木のため乳（ちち）という大きな気根（きこん）がたくさん垂れ下がっている。鎌倉時代の武士・安達藤九郎盛長が植えたという伝説がある。昭和33・1・24市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="62"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>62</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>生福寺宝篋印塔</名称><名称_カナ>ショウフクジホウキョウイントウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>生福寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市仲町2-17</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>生福寺</所有者等><文化財指定日>1998-04-27T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1763年に製作され、昭和20年の宇都宮空襲で損傷したが、平成9年に再建</概要><概要_英語 /><説明>宝篋印塔とは、宝篋印陀羅尼経（ほうきょういんだらにきょう）を納めた供養塔である。本塔は、1763（宝歴13）年、宇都宮の鋳物師（いもじ）である戸室元蕃（とむろげんば）によって製作されたものである。1945（昭和20）年7月の宇都宮空襲により、相輪と笠が破損したが、1997（平成9）年7月に本堂前に再建された。平成10・4・27市指定＜有形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="63"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>63</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>白沢甲部彫刻屋台</名称><名称_カナ>シラサワコウブチョウコクヤタイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市白沢町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>輌</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1990-12-06T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1833年製作の黒漆塗彩色彫刻屋台。獅子や龍の彫刻が施され、これらの眼にはガラス玉がはめ込まれており、全国的にも珍しいと言われている。</概要><概要_英語 /><説明>1833（天保4）年に製作されたこの時代の一般的な形式の黒漆塗彩色彫刻屋台である。明治3年に一度手直しされていることから、製作当時は白木屋台であったことも考えられる。鬼板と懸魚（げぎょ）には獅子、正面飾柱には龍の彫刻が施され、これらの眼にはハメ込みのガラス玉が用いられ、全国的にも珍しいと言われている。また、全部で12枚になる外障子・内障子には、十二支の彫刻が施されており、それがこの屋台の特徴ともなっている。＜平2・12・6市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="64"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>64</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>白沢南彫刻屋台</名称><名称_カナ>シラサワミナミチョウコクヤタイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市白沢町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>輌</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1990-12-06T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1816年製作の大型・重厚な黒漆塗彩色彫刻屋台。脇障子の鉄線花の透かし彫りは、日光東照宮の諸彫刻と同レベルの完成度と評価される。</概要><概要_英語 /><説明>1816（文化13）年に製作された大型で重厚な黒漆塗彩色彫刻屋台。明治6年に白沢南で購入後に正面柱、外欄間、内・外障子に白木彫刻を付加したため特異な外見となっている。彩色彫刻は、その塗りの状況などから何代かに分けて製作されたとみられ、これらの中でも脇障子に施された鉄線花の透かし彫りは、日光東照宮の諸彫刻と同レベルの完成度の高さであると評価されている。この屋台は元々は鹿沼新町（現：麻苧町）で白木屋台として製作され、すぐに塗屋台となったもので、4匹の金龍の彫刻があったが、白沢南で購入の際外され、麻苧町の屋台の完成の際に高欄に取り付けられている。＜平2・12・6市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="65"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>65</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>城山のシダレザクラ</名称><名称_カナ>シロヤマノシダレザクラ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>宇都宮市立城山西小学校</場所名称><住所>栃木県宇都宮市古賀志町583</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1959-03-10T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>城山西小学校の校庭にあり、この地に伝わる民話から、別名「孝子桜」と呼ばれている。</概要><概要_英語 /><説明>この桜の木はバラ科のヒガンザクラで、枝が糸のように細く垂れ下がり、北海道、本州、四国、九州の暖帯から温帯に植栽される落葉高木である。城山西小学校の校庭内にあり、この地に伝わる民話から、別名「孝子桜」と呼ばれている。昭和34・3・10市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="66"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>66</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>新町のケヤキ</名称><名称_カナ>シンマチノケヤキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市新町2丁目1-7</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1988-12-26T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹齢約800年、根回り約20mの巨木で、旧宇都宮城下の南の入口にあたる位置に立つ。</概要><概要_英語 /><説明>この木は、宇都宮城下の南の入り口にあたるところに立ち、多くの人々の目印となっていた。落葉する10月下旬頃の姿が、特に美しい。樹齢は推定800年であるが、樹勢は旺盛で、根回りは20m程もあり、根張りが良く、幹はしっかりとしている。戦前までは、このようなケヤキが3本あったが、一番大きな木を残し供木したため、現在はこの木だけが残っている。昭和63・12・26県指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="67"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>67</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>姿川第一小のフジ</名称><名称_カナ>スガタガワダイイチショウノフジ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>宇都宮市立姿川第一小学校</場所名称><住所>栃木県宇都宮市西川田本町3丁目11-15</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1976-07-17T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹齢約150年の古木であるが、樹勢がよく、毎年4月頃に90cmにも及ぶ見事な花房をつける。</概要><概要_英語 /><説明>このフジは野田フジという種類で、山野に自生するが、盆栽や庭園などの観賞用にも植栽され、幹はつる状で長く伸び、他の植物等に右巻きに絡んで成長する。樹齢約150年に及ぶ古木でありながら樹勢がよく、4月頃に90cmにも及ぶ見事な花房をつける「昭和51・7・17市指定」＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="68"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>68</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>関堀の獅子舞</名称><名称_カナ>セキボリノシシマイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定無形文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称>関堀観音堂</場所名称><住所>栃木県宇都宮市関堀町890</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1970-01-19T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>関堀町上になっている関沢地区に古来より伝わる獅子舞。毎年8月14日～16日に関沢の観音堂に奉納されている。</概要><概要_英語 /><説明>現在、関堀町上になっている関沢地区に古来より伝わる獅子舞。源義家が奥州を平定したときに、京都御所で舞われていたものを残したと伝えられることから、紫宸殿獅子舞藤原角輔流（ししんでんししまいふじわらかくすけりゅう）を名乗っている。笛の音に合わせて腰につけた小太鼓を打ち鳴らしながら、雄2匹、雌1匹で舞う一人立三匹獅子舞で、毎年8月14日～16日にかけて関沢の観音堂に奉納されている素朴な民俗芸能である。昭和45・1・19市指定＜無形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="69"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>69</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>宗円獅子舞</名称><名称_カナ>ソウエンシシマイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定無形文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称>日枝神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市新里町乙335</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1957-01-12T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>宇都宮初代城主となった藤原宗円ゆかりのものと伝えられ、新里の神郷の日枝神社に古くから奉納されている。</概要><概要_英語 /><説明>1062（康平5）年、源頼義の奥州平定に従軍し、後に宇都宮初代城主となった藤原宗円ゆかりのものと伝えられている。獅子頭をかぶって舞う踊りで、町内安全、五穀豊穣、悪霊退散などの願いをこめて新里の神郷の日枝神社に古くから奉納されてきた。笛の音に合わせて、腹につけた小太鼓を打ち鳴らしながら雄2匹、雌1匹で舞う一人立三匹獅子舞（ひとりだちさんびきししまい）で、現在も、お盆（8月16日）、8月の最終日曜日の毎年2回奉納されている。昭和32・1・12市指定＜無形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="70"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>70</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>贈従三位戸田忠恕之碑</名称><名称_カナ>ゾウジュサンミトダタダユキノヒ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>宇都宮城址公園</場所名称><住所>栃木県宇都宮市本丸町1-5　宇都宮城址公園内</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1993-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>幕末に宇都宮藩主となった戸田忠恕の功績や波乱に富んだ生涯を刻んだ石碑</概要><概要_英語 /><説明>戸田忠恕（とだただゆき）は、1856（安政3）年に10歳で家督を継ぎ宇都宮藩主となり、幕末維新にあたって勤皇の志深く、山稜修復や戊辰戦争に尽力したが、1868（明治元）年5月、わずか22歳で没した。この碑は、1897（明治30）年に特旨を以って従三位が贈られた後、翌年に旧藩士や有志が、忠恕の功績を不朽に伝えるため建てたもので、その波乱に富んだ生涯が漢文体で碑全面に刻まれている。平成5・3・22市指定＜有形文化財（歴史資料）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="71"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>71</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>高龗神社古墳</名称><名称_カナ>タカオジンジャコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市上大塚町85</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1984-06-01T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>この一帯は川沿古墳群と呼ばれ、大小の墳丘が点在していたが、現在はこの古墳のみとなっている。直径約30mの円墳で、6世紀半ばから後半の構築と推定される。</概要><概要_英語 /><説明>この一帯は川沿古墳群と呼ばれ、現在はこの一基だけだが、かつては大小の墳丘が点在していた。この古墳は直径約30mの円墳で、6世紀半ばから後半に構築されたものと推定される。封土は西側の大半が旧東北本線により削り取られてしまっているため、一見、前方後円墳のように見える。なお、この付近にあった「大塚新田古墳」からは、馬具などの貴重な埋蔵品が出土しており、その一部は東京国立博物館に収蔵されている。＜昭59・6・1市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="72"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>72</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>高山古墳</名称><名称_カナ>タカヤマコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市下田原町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1999-05-18T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>古墳の埋葬施設は，古墳時代後期の横穴式石室で，玄室の大きさは長さ4.8ｍ，幅1.6ｍである。</概要><概要_英語 /><説明>この古墳の埋葬施設は，古墳時代後期の横穴式石室で，玄室の大きさは長さ4.8ｍ，幅1.6ｍである。天井石はすでに取り外され，側壁及び奥壁のみが現存する。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="73"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>73</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>多気山持宝院社叢</名称><名称_カナ>タゲサンジホウインシャソウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>多気山持宝院</場所名称><住所>栃木県宇都宮市田下町564</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>多気山持宝院</所有者等><文化財指定日>1957-01-12T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>この一帯の森（社叢）は、往時の原始林の面影を今日に留めている市内唯一の場所</概要><概要_英語 /><説明>多気山持宝院周辺の森（社叢）は、往時の原始林の面影を今日に留めている市内唯一の場所である。社叢には、カシ類とヤブツバキ・ヒサカキなどの常緑樹、ヤマザクラ・ヤマモミジなどの落葉樹、さらには暖地性の常緑蔓性植物であるイタビカズラ・テイカカズラなどが密生している。植物地理学上、本県は南部が暖帯に、北部が温帯に属しているが、この社叢はわが国の暖帯林の北縁に位置する樹林として学術上非常に重要である。昭和32・1・11市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="74"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>74</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>竹下浅間山古墳</名称><名称_カナ>タケシタセンゲンヤマコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市竹下町326</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1977-03-08T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>古墳時代後期の7世紀に築かれた前方後円墳。農地造成中に発見された。</概要><概要_英語 /><説明>この古墳は、古墳時代後期の7世紀に築かれた前方後円墳で、1973（昭和48）年農地造成中に偶然発見され、墳丘は失われているが、河原石で美しく積まれた石室を持っている。発掘調査の結果、頭椎太刀（かぶつちのたち）・鉾・馬具類が出土した。昭和52・3・8市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="75"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>75</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>多聞天</名称><名称_カナ>タモンテン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>金毘羅神社本殿</場所名称><住所>栃木県宇都宮市中里町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>駆</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1976-09-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代中期～後期の寄木造り。作者不明。着甲，兜をかぶる。獣座（象）。</概要><概要_英語 /><説明>江戸時代中期～後期の寄木造りであり，彩色玉眼。作者不明。着甲，兜をかぶる。左手を正面に向け，屈臂し掌を上に向け宝珠を持つ。獣座（象）。岩座，框を伴う。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="76"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>76</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>塚山古墳</名称><名称_カナ>ツカヤマコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市西川田町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1953-11-10T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>5世紀後半～6世紀初頭に造られた塚山古墳群の主墳。全長98m、墳丘は三段に築かれ、周囲には盾形の周溝や埴輪棺が残っている。</概要><概要_英語 /><説明>塚山古墳群は、塚山古墳をはじめとする5世紀後半から6世紀初頭にかけてこの地域を支配した一族の墓と考えられている。現在残っているのは前方後円墳3基と円墳1基であるが、かつては数多くの円墳や埴輪棺が存在し、その中でも、塚山古墳はこの古墳群の主墳で、3基（塚山古墳・塚山西古墳・塚山南古墳）の前方後円墳の中では最初につくられたと考えられている。全長98m、墳丘は三段に築かれ、葺石が葺かれ、くびれ部南側に作り出しと呼ばれる台形の突出した部分をもつ。古墳の周りには盾形の周溝が廻っており、その外側に小規模な埴輪棺も発見されている。昭和28・11・10県指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="77"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>77</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>塚山西古墳</名称><名称_カナ>ツカヤマニシコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市西川田町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1973-04-18T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>塚山古墳築造後に築かれたと考えられ、塚山南古墳と同様、埴輪や土器が数多く出土している。</概要><概要_英語 /><説明>この古墳は、前方部の短い帆立貝式前方後円墳で、全長約63m、前方部を南南東に向けて築かれ、古墳の周りを巡る周溝の中から、埴輪や土器が数多く出土している。周溝は、塚山古墳群の主墳である塚山古墳を避けるように掘られており、塚山古墳築造後に築かれたことがわかる。昭和48・4・13県指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="78"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>78</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>塚山南古墳</名称><名称_カナ>ツカヤマミナミコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市西川田町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1973-04-18T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>塚山古墳群の前方後円墳3基の中では最後に築かれ、埴輪や土器も数多く出土している。</概要><概要_英語 /><説明>この古墳は、前方部を南に向けて築かれた全長58mの帆立貝式前方後円墳で、塚山西古墳と同じく、周溝の中から、埴輪や土器が数多く出土している。この古墳は塚山西古墳の後に築かれ、塚山古墳群の前方後円墳3基の中では最後に築かれたものである。昭和48・4・13県指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="79"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>79</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>鉄造阿弥陀如来立像</名称><名称_カナ>テツヅクリアミダニョライリュウゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>大乗寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市道場宿町1101</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>駆</単位><法人番号 /><所有者等>大乗寺</所有者等><文化財指定日>1995-08-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>鎌倉時代の作と考えられる鉄製の珍しい仏像</概要><概要_英語 /><説明>仏像の材質は一般的に木や銅であり、鉄製の仏像は鎌倉時代に多く造られたものの珍しい。この像は同時代に制作されたもので、同じ鋳型から造られた仏像が埼玉県・長野県でも発見されている。黒くなっているのは、火災に遭ったことがあるためと思われる。平成7・8・22県指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="80"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>80</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>鉄塔婆</名称><名称_カナ>テットウバ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>重要文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>清巌寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市大通り5丁目3-14</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>清巌寺</所有者等><文化財指定日>1911-08-09T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>鎌倉時代末期に、宇都宮8代城主貞綱が、母の13回忌供養に奉納したもの。鉄製の塔婆は全国的に類例がなく、大変貴重。</概要><概要_英語 /><説明>この鉄塔婆は、鎌倉時代終わり頃の1312（正和元）年、宇都宮8代城主貞綱が、亡き母の13回忌の供養のために鋳造し奉納したもので、表面は梵字や阿弥陀三尊、文字が浮き彫りになっている。鉄製の塔婆は全国的に類例がなく、大変貴重なものである。江戸時代終わり頃の1849（嘉永2）年暴風雨によって3つに折れ、1911（明治44）年に修復されたが、腐食が進んだため、1996（平成8）年に保存処理を施した。高さ約330cm、幅約30cm、厚さ約6.6cm、重量約320kg　＜昭和25・8・29国指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="81"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>81</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>天下一関白流御神獅子舞</名称><名称_カナ>テンカイチカンパクリュウオンカミシシマイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称>白山神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市中里町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1976-09-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1838年、宇都宮城下の大火によって焼失した宇都宮大明神（二荒山神社）再建の際に中里西組へ伝わったもので、毎年8月15日に白山神社に奉納される。</概要><概要_英語 /><説明>毎年8月15日に、五穀豊穣・国家安泰を祈願して、中里町の白山神社に奉納される勇壮かつ独特な一人立三匹獅子舞。1838（天保9）年、宇都宮城下の大火によって焼失した宇都宮大明神（二荒山神社）再建の際に、関白獅子舞の技法が中里西組へ伝わったものと言われている。獅子舞には鎮（ちん）神（こん）参りの舞・開庭（ひらにわ）の舞・蒔寄（まきよせ）の舞・唐堂の舞・弓くぐりの舞・ニーゴの舞があり、それぞれの舞に付け役としての襷鉢巻姿で藤原利仁が賊軍と戦う様子を表す棒と太刀があり、笠の下・腰の下・臑（すね）砕（くだ）き・引き尻（こり）・白刃の演目がある。＜昭和51・9・22市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="82"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>82</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>天下一関白流神獅子</名称><名称_カナ>テンカイチカンパクリュウカミジシ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称>白山神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市逆面町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1970-04-02T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代より約400年間続く、白山神社に奉納される獅子舞</概要><概要_英語 /><説明>逆面に鎮座する白山神社に奉納する獅子舞である。逆面は、1600（慶長5）年11月、徳川家康の命により宇都宮大明神の神領に寄進されて、諸役御免の恩典に預かったことから、地元の人たちは獅子舞を奉仕することで感謝の意を表してきたという。戦時中に一時衰退はあったが、400年近い歴史を経て地元の人たちの手により受け継がれている。＜昭和45・4・2市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="83"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>83</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>天王原彫刻屋台</名称><名称_カナ>テンノウハラチョウコクヤタイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市上田原町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>輌</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1992-12-10T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1918年製作の外輪式白木彫刻屋台。龍・牡丹・雉などの繊細な彫刻が見られる。</概要><概要_英語 /><説明>1918（大正7）年に製作された外輪式白木彫刻屋台。鬼板・懸魚には文政年間の作と思われる龍・牡丹・雉などの繊細な彫刻が見られる。＜平成4・12・10市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="84"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>84</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>伝薬師如来坐像</名称><名称_カナ>デンヤクシニョライザゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市上田原町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>駆</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1996-01-16T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>下田原にあった真言宗密興寺の本尊として、南北朝時代の1385年に製作された釈迦如来坐像と伝えられている。</概要><概要_英語 /><説明>下田原にあった真言宗密興寺の本尊として、南北朝時代の1385（至徳2）年に製作された釈迦如来坐像と伝えられる。この像は、螺髪の上に天冠台があることから、頭部に宝冠をいただいていたと思われ、また、禅定印を結ぶ手首先と後背は他像からの転用で、玉眼は後代にはめ込まれたものとみられる。この時代の宝冠をいだく様式の如来坐像はいずれも阿弥陀如来像であることから、本像も元々は阿弥陀の定印を結ぶ阿弥陀如来像であったと思われる。＜平成8・1・16県指定＞&lt;BR&gt;※拝観には、管理者の許可が必要。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="85"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>85</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>銅鐘</名称><名称_カナ>ドウショウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>大谷寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市大谷町1198</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>口</単位><法人番号 /><所有者等>大谷寺</所有者等><文化財指定日>1988-04-08T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1695年に製作された銅鐘で、端正な形に古様の様式が見られる。</概要><概要_英語 /><説明>この銅鐘は、大谷寺中興第4世応賢が願主となり、1695（元禄8）年に宇都宮の鋳物師である戸室重郎兵衛藤原定国に鋳造させたもので、小形ではあるが、端正な形に古様の様式が見られる。昭和63・4・3県指定＜有形文化財（工芸品）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="86"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>86</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>銅鐘</名称><名称_カナ>ドウショウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>清巌寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市大通り5丁目3-14</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>口</単位><法人番号 /><所有者等>清巌寺</所有者等><文化財指定日>1988-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>所蔵していた鐘が火災に遭い、1751年に新たに造られたもの。市内随一の美しい音色であったため、第二次世界大戦中の供出から免れたといわれる。</概要><概要_英語 /><説明>清巌寺には、江戸時代の1660（万治3）年に造られた鐘があったが、火災によって破損したため、1751（寛延4）年、今小路町の小牧時敏が施主となり、宇都宮の鋳物師戸室元蕃に鋳造させたのがこの銅鐘である。高さ133.5cm、口径58cmと、口径に比べて鐘身がやや高く、すんなりとした形が美しい。また、市内で最も美しい音色であったため、第二次世界大戦中の供出から免れたといわれる。＜昭和63・3・22市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="87"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>87</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>銅鐘</名称><名称_カナ>ドウショウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>同慶寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市竹下町1107</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>口</単位><法人番号 /><所有者等>同慶寺</所有者等><文化財指定日>1958-07-21T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1716年にこの寺の住職の発案により鋳造されたもので、現在も使用されている。</概要><概要_英語 /><説明>1716（享保元）年に、同慶寺住職が計画立案し、近隣の村人の寄付を受け、宇都宮の鋳工・戸室将監藤原定国が鋳造したものである。現在使用中でありながらほとんど無傷であり、その銘文は当時のお寺と檀家の関係を知るうえで貴重な資料となっている。昭和33・7・21市指定＜有形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="88"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>88</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>銅製鰐口</名称><名称_カナ>ドウセイワニグチ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>大谷寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市大谷町1198</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>大谷寺</所有者等><文化財指定日>1995-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1667年に製作された青銅製の鰐口で、製作年号を刻んだ鰐口では、現在、宇都宮市内で最古のもの</概要><概要_英語 /><説明>鰐口とは、神社や寺の正面の軒下につるして、参拝者が布で編んだ太い綱を引いて鳴らす青銅製品で、下方が横に長く裂けている。この青銅製の鰐口は江戸時代前期の1667（寛文7）年に作られたもので、製作年号を刻んだ鰐口では、現在、宇都宮市内で最古のものである。なお、つるす部分を耳といい、その多くは半円形や弧状だが、これは蕨手状（わらびてじょう）になっている。平成7・3・22市指定＜有形文化財（工芸品）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="89"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>89</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>銅造阿弥陀如来坐像</名称><名称_カナ>ドウゾウアミダニョライザゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>重要文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>一向寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市西原2丁目1-10</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>一向寺</所有者等><文化財指定日>1914-08-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>異変の前に汗をかくという伝説から「汗かき阿弥陀」と親しまれている阿弥陀如来坐像</概要><概要_英語 /><説明>この仏像は第12代城主宇都宮満綱が願主となって、1405（応永12）年、長楽寺の本尊として造られたが、1869（明治2）年、長楽寺の廃寺により一向寺に移された。衣全面に340人を越える寄進者の名前などの文字が刻まれ、その数は1105字という。作者は、宇都宮を中心に活躍していた鋳物師の秦景重で、鎌倉時代の作風を残した仏像である。この仏像には、この世に異変が起こる前になると、汗をかくという伝説が残され、「汗かき阿弥陀」の名で親しまれている。五十里洪水や関東大震災の前日にも汗をかいたという。日曜日に拝観できる。＜昭和25・8・29国指定重要文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="90"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>90</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>銅造大日如来坐像</名称><名称_カナ>ドウゾウダイニチニョライザゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>広琳寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市平出町1673</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>広琳寺</所有者等><文化財指定日>1985-03-20T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代初期の作といわれ、境内の文殊堂屋根上に設けられた龕（がん）の中に安置されている。</概要><概要_英語 /><説明>江戸時代初期の作といわれ、境内の文殊堂屋根上に設けられた龕（がん）の中に安置されている。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="91"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>91</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>銅造宝篋印塔</名称><名称_カナ>ドウゾウホウキョウイントウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>金剛定寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市上桑島町1041</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>金剛定寺</所有者等><文化財指定日>1957-06-03T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1736年に鋳造された銅製のもので、塔身の四面に四方仏や梵字が刻まれている。</概要><概要_英語 /><説明>宝筺印塔は、本来は宝筺印陀羅尼経（ほうきょういんだらにきょう）を納める塔という意味であるが、鎌倉時代以後は墓碑や供養塔として数多く造られた。石製が多いが、この塔は銅製で、塔身の四面に四方仏または梵字が刻まれている。江戸時代の1736（元文元）年に、宇都宮の鋳工・戸室将監藤原元蕃が鋳造したもので、当時の工芸技術を知るものとして重要である。昭和32・6・3市指定＜有形文化財（工芸品）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="92"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>92</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>銅造盧舎那仏坐像</名称><名称_カナ>ドウゾウルシャナブツザゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>善願寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市南大通り1丁目8-19</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>軀</単位><法人番号 /><所有者等>善願寺</所有者等><文化財指定日>1958-05-15T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1735年に造られたこの仏像には、造営にまつわる「大豆三粒の金仏」伝説がある。</概要><概要_英語 /><説明>この大仏は、1735（享保20）年、善願寺の栄鈷和尚（えいこおしょう）の願いにより造られ、「大豆三粒の金仏（だいずさんつぶのかなぶつ）」として、次のような伝説が残されている。大仏を造る資金が不足して困っていたとき、和尚は善願寺を訪れた旅の僧に願いを打ち明け相談した。僧は大豆3粒を取り出し、これを境内に蒔き、実った大豆を多くの人たちに分けて増やしていけば、やがて資金がえられようと教えてくれた。和尚はすぐにこれを実行し、10年後には念願の大仏を造ることができたという。昭和33・5・15市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="93"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>93</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>銅灯籠</名称><名称_カナ>ドウドウロウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>大谷寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市大谷町1198</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>大谷寺</所有者等><文化財指定日>1988-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1716年に寄進されたもので、高い鋳造技術を表す作品となっている。</概要><概要_英語 /><説明>この八角形の銅灯籠は、1716（享保元）年に河内郡新里村の高橋善左衛門吉勝が寄進したものであり、宇都宮の鋳物師である戸室将監藤原元蕃によって鋳造されたものである。多くの意匠を駆使し、均整のとれた安定感のある灯籠であり、高い鋳造技術を表す作品である。昭和63・3・22市指定＜有形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="94"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>94</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>徳次郎智賀都神社祭礼付祭屋台</名称><名称_カナ>トクジラチカツジンジャサイレイツケマツリヤタイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市徳次郎2478他</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>6</員数[数]><単位>台</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1989-12-20T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>徳次郎六か郷の鎮守で、3年に一度、例大祭が行われ、彫刻屋台も披露される。</概要><概要_英語 /><説明>智賀都神社は、徳次郎六か郷（西根・門前・田中・上町・下町・中町）の鎮守で、毎年7月31日、8月1日に宵祭、例大祭が行われていたが、現在は3年に一度、7月の最終土曜日に行われている。屋台は、江戸時代終わりから明治時代にかけて作られた彫刻屋台であり、彫刻は石那田の屋台と同じ、磯邊敬信や後藤正秀、大出常吉らの手によるものである。平成元・12・20市指定＜民俗文化財（有形）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="95"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>95</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>飛山城跡</名称><名称_カナ>トビヤマジョウセキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市竹下町380-1</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1977-03-08T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>鎌倉時代末期の築城と伝えられ、豊臣秀吉の命により廃城となるまで約300余年使用された。</概要><概要_英語 /><説明>飛山城は鎌倉時代末期の永仁年間（13世紀末）に芳賀高俊が築城したと伝えられている。芳賀氏は、天武天皇の子孫である清原氏の一族で、代々芳賀郡一帯を治めていた豪族であったが、この飛山を居城としてからは、姓を先祖の「清原」に改めたといわれている。この城は、高俊以後、1597（慶長2）年に豊臣秀吉の命により廃城となるまで300余年にわたり清原氏の居城であったといわれる。昭和52・3・8国指定史跡＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="96"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>96</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>長岡百穴古墳</名称><名称_カナ>ナガオカヒャクアナコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市長岡町550</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>52</員数[数]><単位>穴</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1955-07-26T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>丘陵の斜面を蜂巣のようにくり抜いた横穴墓。百穴と言われるが、現在は52穴で、各横穴には後世の観音像が刻まれている。</概要><概要_英語 /><説明>凝灰岩から成る丘陵の斜面に蜂巣のようにくり抜いた横穴墳である。百穴という名称であるが、現在は52穴が南を向いて開口している。これらの横穴の基本形態は、羽子板型の玄室から玄門を経て直接前庭部続くもので、羨道（せんどう）に当たるものはみられない。玄門に扉石をはめ込んだとみられる切込みがあり、現在はないが、当時はほとんどの横穴に扉石があったと思われる。なお、各横穴には、後世の作である観音像が刻まれているが、地元には、これらの観音は弘法大師一夜の作との伝承がある。昭和30・7・26県指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="97"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>97</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>中里のつげ</名称><名称_カナ>ナカザトノツゲ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市中里町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1981-12-24T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>目通り約1.7ｍであり上河内地域では１番大きいものである。樹齢は３００～４００年と推定される。</概要><概要_英語 /><説明>目通り約1.7ｍであり上河内地域では１番大きいものである。樹齢は３００～４００年と推定される。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="98"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>98</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>中鶴田の大フジ</名称><名称_カナ>ナカツルタノオオフジ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市鶴田町264</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1960-01-28T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>エノキの大木に絡まった古木で、毎年4月下旬頃に花を咲かせる。</概要><概要_英語 /><説明>このフジは、直径約60cmのエノキに絡まっており、自然の形をよく残している。地上を這うように伸びている幹は、このフジが絡みついていた樹木が枯れて倒れたときに、いっしょに落下したものと思われる。古木ではあるが、4月下旬頃、日当たりのよい樹冠部南側に花を咲かせる。昭和35・1・28市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="99"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>99</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>西組彫刻屋台</名称><名称_カナ>ニシグミチョウコクヤタイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市上田原町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>輌</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1992-12-10T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1934年製作の内輪式白木彫刻屋台</概要><概要_英語 /><説明>1934（昭和9）年に製作された内輪式白木彫刻屋台。高欄と障子には彩色がされ、また唐獅子牡丹・鯉・亀・鶏・花鳥などの彫刻がある。＜平成4・12・10市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="100"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>100</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>西下ヶ橋彫刻屋台</名称><名称_カナ>ニシシサゲハシチョウコクヤタイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市下ケ橋町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>輌</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1991-03-30T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1833年製作の黒漆塗彩色彫刻屋台。正面蹴込の獅子の透かし彫りの玉などに彫刻技術の高さを見ることができる。</概要><概要_英語 /><説明>1833（天保4）年に製作された黒漆塗彩色彫刻屋台。彫刻は神山政五郎のものと伝えられ、柱はリスとブドウ、障子回りは桜を主体にした花木、外欄間は菊、高欄下は板書きの波でコンパクトにまとめられている。側面の華々しさはないが、正面の蹴込の獅子が戯れる透かし彫りの玉などに、彫刻の技術の高さを見ることができ、鬼板と懸魚（げぎょ）の龍は華麗なものとなっている。＜平3・3・30市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="101"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>101</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>根古谷台遺跡</名称><名称_カナ>ネゴヤダイイセキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市上欠町151-1</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1988-05-17T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>縄文時代前期の大規模な集落跡。「うつのみや遺跡の広場」として整備。</概要><概要_英語 /><説明>この遺跡は、縄文時代前期の大規模な集落跡で、広場の中心部に多数の墓壙（ぼこう）があり、その周囲を特殊な建物跡が取り囲んでいる。なかでも15棟確認された長方形大型建物は、巨大で規格性があることなど、この時期のものとしては他に例のないものである。広場内の数多くの墓壙のうち、重要文化財に指定された装身具や石器が出土した7基は、当時の埋葬状況などを明らかにする上で貴重な資料となっており、墓域周辺に特殊な構造と大きさを持つ建物が少ないことなどから、葬送儀礼などの集団祭祀を行った可能性も考えられている。なお、現在は「うつのみや遺跡の広場」として整備され、資料館や4棟の復元建物が置かれている。また、園内にはニッコウキズゲの群落があり、5月に美しい花を咲かせる。＜昭和63・5・17国指定史跡＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="102"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>102</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>野口雨情旧居</名称><名称_カナ>ノグチウジョウキュウキョ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>登録有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市鶴田町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>2005-11-10T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>北原白秋・西条八十とともに、わが国の三大童謡詩人と称される野口雨情（昭和20年没）が疎開と病気療養のため、昭和18年から居住していた。雨情旧居の名で親しまれ、地域の歴史遺産として保存されている。</概要><概要_英語 /><説明>野口雨情旧居は、県道宇都宮・鹿沼線沿いの鶴田町にある。北原白秋・西条八十とともに、わが国の三大童謡詩人と称される野口雨情（1882～1945年）が疎開と病気療養のため、昭和18（1943）年～同20（同年没）年まで住んでいた。もとは河内郡姿川村鶴田の農地開墾に従事した中田秋治の住宅として、昭和5（1930）年頃に建築されたと伝えられ、平成12（1999）年、現在の所有者により保存のための曳き家と大規模改修が施された。木造平屋建ての居室4室と台所、浴室を配する昭和初期の住宅建築であるとともに、「雨情旧居」の名で親しまれていることから、地域の歴史的景観に寄与しているものとして国の登録有形文化財に登録された。＜平成17・11・10　国登録有形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="103"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>103</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>芳賀氏累代の墓碑</名称><名称_カナ>ハガシルイダイノボヒ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称>同慶寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市竹下町1107</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>14</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>同慶寺</所有者等><文化財指定日>1958-07-21T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>清原氏の菩提寺だった同慶寺にある、清原氏累代の墓碑</概要><概要_英語 /><説明>飛山城主であった芳賀氏の同族清原氏は、同慶寺を菩提寺としたことから、清原氏累代の墓碑が建立されている。ここにある墓碑は、何れも五輪塔の形式ではあるが、永い間に相当の移動があったように思われる。なお、中央の碑は、清原氏14代の法名を刻んだもので、明治年間に子孫が建立したものである。昭和33・7・21市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="104"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>104</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>羽黒山神社撞鐘堂</名称><名称_カナ>ハグロサンジンジャカネツキドウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>羽黒山神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市今里町1444</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>口</単位><法人番号 /><所有者等>羽黒山神社</所有者等><文化財指定日>1986-12-08T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1702年に建立された堂で、その梵鐘を撞いて時を告げていたといわれる。</概要><概要_英語 /><説明>1702（元禄14）年9月に建立されたこの堂は、神仏混淆としての羽黒山神社を位置づけるものですが、梵鐘は文政元年（建立から117年後）再替と陰刻されており、改鋳されたものと考えられます。鐘は一般寺院にある梵鐘と同じもので、これを撞いて時を知らせたこともあったと思われます。＜昭和61・12・8＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="105"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>105</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>羽黒山神社本殿</名称><名称_カナ>ハグロサンジンジャホンデン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>羽黒山神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市今里町1444</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>羽黒山神社</所有者等><文化財指定日>1976-09-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>羽黒山神社は、1058～1065年頃に藤原宗円が創建したものと伝えられ、この本殿は、1830年の造営で、精巧な社の彫刻が見事である。</概要><概要_英語 /><説明>農業と関わりの深い宇迦之魂命を祀る羽黒山神社は、江戸時代には近郷十八郷の総鎮守であり、また神仏混淆の修験道場の名残をとどめている。創建は諸説あるが、康平年中（1058年～1065年）に藤原宗円が宇都宮城築城に際し、祈祷修法中に出羽三山との関連を意識し勧請されたものと伝えられる。本殿は拝殿の奥にあり、1830（文政13）年の造営で、「力持ち」をはじめとした精巧な社の彫刻は神山政五郎の作である。＜昭和51・9・22市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="106"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>106</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>八幡山のクスノキ</名称><名称_カナ>ハチマンヤマノクスノキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>八幡山公園</場所名称><住所>栃木県宇都宮市塙田5丁目2-70</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1972-12-08T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代からこの場所に生育している県内でも珍しい巨木で、5月頃に黄白色の花が咲く。</概要><概要_英語 /><説明>江戸時代からここに生育していたと思われる、クスノキの巨木である。クスノキは主に関東地方以西の暖かい地域に分布している常緑高木で、これだけ大きいものは栃木県内では珍しい。葉脈の分岐点に小さいいぼ状の点があり、中にダニの一種がいるのがクスノキの特徴である。新芽は赤褐色で美しく、5月頃に黄白色の花が咲く。昭和47・12・8市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="107"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>107</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>ハッチョウトンボ及びその生息地</名称><名称_カナ>ハッチョウトンボオヨビソノセイソクチ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>鶴田沼</場所名称><住所>栃木県宇都宮市鶴田町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1973-07-17T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>豊かな自然が残された鶴田沼周辺に、日本で最小のトンボが見られる。</概要><概要_英語 /><説明>ハッチョウトンボは、日本で最も小さいトンボで、体長はわずか15～20mmである。雄は赤く、雌は黒色に黄色の斑点があり、翅（はね）は付け根から三分の一がオレンジ色で、美しい姿をしている。県内では主に平野部の湿地で見られるが、宅地化が進んでいる宇都宮市内では珍しく、生息地である鶴田沼は、良好な自然環境が残されているといえる。昭和48・7・17市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="108"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>108</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>ヒイラギ</名称><名称_カナ>ヒイラギ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市竹下町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1963-03-05T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樹高が約7mあり、ヒイラギとしては稀に見る巨木</概要><概要_英語 /><説明>ヒイラギは、日本では関東以西の山地に自生し、庭木としても植栽される常緑小高木である。通常は樹高3m程度であるが、このヒイラギは約7mあり、稀に見る巨木である。ヒイラギの葉の縁には普通は刺があるが、この木は老木であるため刺がなくなっている。昭和38・3・5市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="109"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>109</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>東芦沼神社大杉</名称><名称_カナ>ヒガシアシヌマジンジャオオスギ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>高お神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市芦沼町974</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>3</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>高お神社</所有者等><文化財指定日>1976-09-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>神社は1467年創建、境内にある大杉は推定樹齢約450年の大木で、この神社の御神木となっている。</概要><概要_英語 /><説明>この神社は、1467（応仁元）年に創建され、境内にあるこの三本の杉は、推定樹齢約450年の大木で、このような平地に植栽され、立派に時の流れをみつつ巨木化した例は町内にあまり類例を見ず、この神社の御神木として人々に崇われている。＜昭和51・9・22指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="110"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>110</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>東芦沼神社本殿</名称><名称_カナ>ヒガシアシヌマジンジャホンデン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>高お神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市芦沼町974</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>高お神社</所有者等><文化財指定日>1976-09-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>神社は1467年創建、境内にある大杉は推定樹齢約450年の大木で、この神社の御神木となっている。</概要><概要_英語 /><説明>この神社は、1467（応仁元）年に創建され、境内にあるこの三本の杉は、推定樹齢約450年の大木で、このような平地に植栽され、立派に時の流れをみつつ巨木化した例はあまり類例を見ず、この神社の御神木として人々に崇われている。＜昭和51・9・22指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="111"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>111</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>東組彫刻屋台</名称><名称_カナ>ヒガシグミチョウコクヤタイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市上田原町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>輌</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1992-07-01T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1845年製作の外輪式彩色彫刻屋台。螺細の彩色や玉眼金龍の彫刻などは当時の状態と見られる。</概要><概要_英語 /><説明>1845（弘化2）年に製作された外輪式彩色彫刻屋台。唐破風の螺細の彩色や、脇障子の鶏・鬼板・懸魚の玉眼金龍の彫刻などは当時の物と見られ、保存状態も良く、すばらしい技術の高さを物語っている。＜平成4・7・1市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="112"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>112</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>東下ヶ橋天棚</名称><名称_カナ>ヒガシサゲハシテンダナ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定民俗文化財</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市下ケ橋町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1991-03-30T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>1862年製作の重厚な白木彫刻天棚。製作費が約350両と伝えられており、その豪華さを窺い知ることができる。</概要><概要_英語 /><説明>1862（慶応2）年に製作された重厚な白木彫刻天棚。製作費が約350両であったと伝えられており、その豪華さを窺い知ることができる。天棚とは、太陽信仰に根ざす農耕の祭り「天祭（てんさい）」に使用されるもので、江戸中期頃より作られるようになり、幕末・明治初期に最も盛んに製作された。＜平3・3・30市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="113"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>113</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>毘沙門天</名称><名称_カナ>ビシャモンテン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>毘沙門堂</場所名称><住所>栃木県宇都宮市芦沼町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>駆</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1976-09-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>元は、勝道上人が日光山に開山した寺院に安置されていたが、洪水によりこの地に流れついて以来信仰を集め、後に毘沙門堂を建立し安置したもの。</概要><概要_英語 /><説明>この堂に安置されている毘沙門天像は、768（神護景雲元年）年、勝道上人が日光山に開山する折日光山麓多門坊に安置されたが、寛文二年六月十三日の大雨で、芦沼村の河原に打ち上げられたと伝えられる。この仏様を拾った村人が薪として燃やそうとしたが、全く姿が変わらなかったため、観音堂に奉納し、1700（元禄11）年7月3日、浄蓮寺第十二世住持湛誉禅翁和尚が夢の中で「勝道上人一刀三礼の直作の毘沙門天」と知らされ、毘沙門堂を建立して安置し、以後、北方の守護神、災害避けの神として人々の信仰を受けるようになったと言われている。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="114"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>114</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>樋爪氏の墓</名称><名称_カナ>ヒヅメシノハカ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市大通り5丁目3-2</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>2</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1958-07-21T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>樋爪氏は奥州藤原氏の一族といわれ、源頼朝が藤原氏を追討した際に捕虜とした樋爪五郎季衝とその子経衡の墓と伝えられている。</概要><概要_英語>樋爪氏は奥州藤原氏の一族といわれ、源頼朝が藤原氏を追討した際、捕虜とした樋爪五郎季衝とその子経衡の墓と伝えられている。</概要_英語><説明>源頼朝が奥州藤原氏を追討した際、藤原氏の一族である樋爪五郎季衡とその子経衡を捕虜とし、祈願成就のお礼の生贄として二荒山神社に献納したという。この樋爪親子は故郷へ逃げ帰ろうとして上河原で追手に捕えられ殺害され、この石塔は樋爪親子の墓だといわれている。昭和33・7・21市指定＜有形文化財（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="115"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>115</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>屏風岩石材　石蔵（西蔵、東蔵）　附　西蔵棟札</名称><名称_カナ>ビョウブイワセキザイ　イシグラ（ニシグラ、ヒガシグラ）　ツケタリ　ニシグラムネフダ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市大谷町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>2</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>2006-08-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>居住用の西蔵（明治41竣工）と倉庫用の東蔵（明治45年上棟）が建ち、軒や窓廻り、壁面など、ともに洋風のたたずまいを持つ。</概要><概要_英語 /><説明>屏風岩石材の石蔵（西蔵と東蔵）は、冠木門(かぶきもん）の両脇に並び、棟札墨書により、西蔵が明治41年竣工、東蔵が明治45年上棟であることが確認できる。外観は、軒や窓廻り壁面の扱いなど、この種の建物では珍しく濃厚な洋風意匠でまとめられている。居住用の西蔵（座敷蔵）はより本格的な洋風意匠を採用した曲線や繊細な装飾を用い、倉庫（穀蔵）として建設された東蔵は、硬く力強い表現が目立つなど異なった特徴を有している。＜平18・8・22県指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="116"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>116</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>藤原利仁公の墓</名称><名称_カナ>フジワラトシヒトコウノハカ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称>白山神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市関白町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1991-09-20T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>古碑の梵字から、武将の供養塔とされ、藤原利仁の墓と伝えられる。</概要><概要_英語 /><説明>古碑は宝篋印塔で、四面の梵字は「諸行無常偈」を表し、合戦などで討死した武将の供養塔に使用されることが多い。「河内郡誌」には「利仁、果シテ関白ノ地ニ薨セシヤ否ヤ、疑ナキ能ハズ」と利仁の墳墓所在の至難なることを述べているため確証はできないが、後世に伝える文化遺産のひとつと称される。＜平成3・9市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="117"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>117</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>二荒山神社鉄製狛犬</名称><名称_カナ>フタアラヤマジンジャテツセイコマイヌ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>重要美術</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>二荒山神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市馬場通り1丁目1-1</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>二荒山神社</所有者等><文化財指定日>1969-02-13T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>鎌倉時代に作られた鉄製の狛犬。火災に遭い左前足が失われている。</概要><概要_英語 /><説明>一般的に狛犬は、唐獅子風のものであるが、この狛犬は写実的で、鋳造に不向きな鉄を材料にしながら、顔の形や胸の張り具合など、その出来映えは見事である。作者は不明であるが、鎌倉時代の作で、佐野の天明鋳物（てんみょういもの）といわれている。火災に遭い左前足が失われている。高さ36cm、重さ約22kg　＜昭和10・2・14国認定重要美術品＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="118"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>118</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>御蔵山古墳</名称><名称_カナ>ミクラヤマコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市塙田5丁目535-1</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>雷神社　</所有者等><文化財指定日>1997-03-21T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>6世紀前半頃造られた中型の前方後円墳。頂上には「雷神社（らいじんじゃ）」がある。</概要><概要_英語 /><説明>御蔵山古墳は、6世紀前半頃造られた全長約62m、高さ約5mの中型の前方後円墳で、前方部を西北西に向けている。墳丘は三段になっており、下半分は山を削って形を整え、上半分は土を盛り上げて築いている。周辺からは土器や埴輪の破片が出土し、また古墳のふもとには、近くの古墳から遺物が出土したことを伝える石碑「古棺記（こかんき）」が、頂上には「雷神社（らいじんじゃ）」がある。神社造営の際、前方部と後円部の上面部分が約1m程削り取られている。平成9・3・21市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="119"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>119</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>密嶽神社</名称><名称_カナ>ミツダケジンジャ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>密嶽神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市今里町1444</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1988-07-26T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>通称「隠居羽黒山」といわれ、鎌倉時代後期の1322年創建と伝えられる。元は羽黒山三社大権現と呼ばれたが、神仏分離により「密嶽神社」と改称した。</概要><概要_英語 /><説明>通称「隠居羽黒山」といわれ、鎌倉時代後期の1322（元亨2）年創建と伝えられている。嶽の頂上に三神を祭祀したので羽黒山三社大権現と呼称され、後に三嶽大権現と改められ羽黒山大権現と同様に多く崇拝を受けていたが、1868（慶応4）年3月の神仏分離によって権現を改め「密嶽神社」と改称し、今日に及んでいる。建物は1750（寛延3）年2月、野火により全焼したが、2年後の1752（宝暦2）年9月に拝殿が再建された。本殿の彫刻は、農作物をモチーフとして描かれている素晴らしいものである。(昭和63・7・26)</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="120"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>120</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>宮下古墳</名称><名称_カナ>ミヤシタコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市瓦谷町32-2</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1962-03-20T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>北山古墳群内の中心的古墳で、全長約43m、高さ約4m、6世紀後半古墳時代後期の築造と考えられる。</概要><概要_英語 /><説明>北山古墳群内の中心的古墳で、全長約43m、前方部幅約32m、後円部径約29m、高さ約4mで、付近には5基の円墳が付き従うように「Ｖ字」形に築かれている。明治中頃の発掘により、直刀、馬具、玉類が出土し、これらの遺物から、6世紀後半古墳時代後期のものと考えられる。昭和37・3・20市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="121"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>121</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>妙哲禅師の墓附墓碑</名称><名称_カナ>ミョウテツゼンジノハカツケタリボヒ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称>伝法寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市徳次郎町3417</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>伝法寺</所有者等><文化財指定日>1956-09-15T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>妙哲禅師は、鎌倉時代に奥州に生まれ、この伝法寺や、妙雲寺（塩原町）、同慶寺（宇都宮市竹下町）を開き、下野国（栃木県）に臨済宗を広めた中心人物</概要><概要_英語 /><説明>妙哲禅師は、鎌倉時代に奥州に生まれ、雲巌寺（黒羽町）の仏国国師の弟子となり、この伝法寺や、妙雲寺（塩原町）、同慶寺（宇都宮市竹下町）を開き、下野国（栃木県）に臨済宗を広めた中心人物である。墓碑は高さ1.48mの安山岩製で、八角形の基礎の上に、八角柱の竿石を立て、ここに中台を載せ、その上に卵形の塔身を安置した無縫塔である。墓碑の基礎面に、禅師の功績と1349（貞和5）年11月12日の没年を刻んでいる。昭和31・6・15県指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="122"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>122</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>ムカシトンボ及びその生息地</名称><名称_カナ>ムカシトンボオヨビソノセイソクチ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市福岡町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1973-07-17T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>ムカシトンボは「生きた化石」と言われ、日本とヒマラヤでしか確認されていない貴重な昆虫。成虫になるまで7～8年かかる。</概要><概要_英語 /><説明>ムカシトンボは、一億年前に生息していたトンボの仲間と同じように、止まるときに翅（はね）を半開きに閉じ、前翅と後翅の大きさが同じであることから「生きた化石」と言われ、日本とヒマラヤしか確認されていない貴重な昆虫である。成虫は、5月頃に山地沿いのやや開けた場所などをかなり速く飛び、手で持つと、さそりや蜂のように腹部を上に反らす特徴がある。幼虫は、山地の渓流に棲み、成虫になるまで7～8年かかるため、環境が何年間も変化しないことが必要であり、この環境を守っていくことがムカシトンボの保護につながる。昭和48・7・17市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="123"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>123</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>夫婦杉</名称><名称_カナ>メオトスギ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称>羽黒山神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市今里町1444</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>2</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>羽黒山神社</所有者等><文化財指定日>1991-09-20T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>推定樹齢約450年、樹高約30mの杉の巨木で、この神社の御神木、また縁結びの木として信仰を集めている。</概要><概要_英語 /><説明>推定樹齢約450年、樹高約30m、目通周囲約4.5mの杉の巨木で、慶安年間（1648年～1652年）に宇都宮城主奥平忠昌が出羽の羽黒山の分霊を祀り、本殿が修復された際、参道の改修と併せ、植栽されたものといわれている。真っすぐに伸びた2本の幹が根本で1本となるこの杉は、神社の御神木として、またその名前から縁結びの木として人々の信仰を集めている。平成3・9・20市指定＜天然記念物＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="124"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>124</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造阿弥陀如来坐像</名称><名称_カナ>モクゾウアミダニョライザゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>慈光寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市塙田1丁目3-3</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>慈光寺</所有者等><文化財指定日>1993-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>丸い顔、なで肩で丸みのある体、彫りの浅い衣の線など、平安時代後期の特徴を持つ仏像</概要><概要_英語 /><説明>この仏像は、整然と刻み込まれた螺髪（らほつ（仏像の頭髪））や丸い顔、なで肩で丸みのある体、彫りの浅い衣の線などから、平安時代後期の作と考えられる。仏像の底に書かれた墨書によると、江戸初期の慶安2年（1649）、江戸末期の弘化4年（1847）、明治22年（1889）の3回、修理が行われている。＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="125"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>125</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造阿弥陀如来坐像</名称><名称_カナ>モクゾウアミダニョライザゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>広琳寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市平出町1673</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>広琳寺</所有者等><文化財指定日>1985-03-20T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>広琳寺に客仏として保管されている江戸時代制作の仏像</概要><概要_英語 /><説明>阿弥陀如来は、極楽浄土の仏とされ、日本では多くの信仰を集めた。この像は、広琳寺に客仏として保管されているもので、廃寺となった寺のものであったと伝えられている。江戸時代の作であるが、製作技法に古い様式が用いられている。昭和60・3・20市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="126"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>126</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造阿弥陀如来立像</名称><名称_カナ>モクゾウアミダニョライリュウゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>浄鏡寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市塙田2丁目5-1</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>浄鏡寺</所有者等><文化財指定日>2005-05-10T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>藤原時代の和様彫刻の特徴が見られる12世紀後半に作られた仏像</概要><概要_英語 /><説明>この像は、藤原時代の和様彫刻の特徴が見られる12世紀後半の仏像。浄鏡寺の本尊は、1945年（昭和20）の宇都宮空襲で焼失したため、現在の本尊は、同じ浄土宗の清厳寺より移座されたものである。＜平成17・5・20市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="127"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>127</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造阿弥陀如来立像（台座光背）附納入文書</名称><名称_カナ>モクゾウアミダニョライリュウゾウ（ダイザコウハイ）ツケタリノウニュウモンジョ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>清泉寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市下小倉町1529</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>駆</単位><法人番号 /><所有者等>清泉寺</所有者等><文化財指定日>1994-01-28T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>12世紀中頃（平安時代）の作とされる阿弥陀如来立像で、像内から奉加帳と修理銘が確認されている。</概要><概要_英語 /><説明>清泉寺本堂に安置されている、像高86.2cmの三尺像と称される来迎形（らいごうけい）の阿弥陀如来立像。本像は檜材、一木割矧造、玉眼、肉髪珠、肉身部金泥塗、衣文部漆箔である。丸くなだらかな肩や穏やかな表情、小ぶりな螺髪、彫りの浅い衣文などの作風から、十二世紀中頃（平安時代）の作とされている。像内からは奉加帳（ほうがちょう）と共に修理銘が確認されている。平成6・1・28県指定。＜県指定有形文化財（彫刻）＞&lt;BR&gt;　※拝観にはお寺の許可が必要。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="128"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>128</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造訶利帝母坐像</名称><名称_カナ>モクゾウカリテイモゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>同慶寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市竹下町1107</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>同慶寺</所有者等><文化財指定日>1975-03-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代初期に造られたものと考えられ、安産や保育の守護神として尊崇されている。</概要><概要_英語 /><説明>訶利帝母（訶梨帝母）は、一般的に鬼子母神とも呼ばれ、安産や保育の守護神として尊崇されている。この像は寄木造りの技法で製作され、玉眼がはめ込まれ、同慶寺境内のお堂に安置されており、江戸時代初期に造られたものと考えられる。昭和50・3・25市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="129"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>129</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造虚空蔵菩薩立像</名称><名称_カナ>モクゾウコクウゾウボサツリュウゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>東海寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市篠井町827</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>東海寺</所有者等><文化財指定日>1987-03-31T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>室町時代の製作といわれ、60年に一度開帳される秘仏</概要><概要_英語 /><説明>虚空蔵とは、その広大無辺の功徳が虚空（大空）のように大きいという意味である。この像は、頭上には八角形の宝冠をつけ、右手に智慧（ちえ）の剣、左手には蓮華の上に福徳の如意宝珠を持っている。像高130cm、肩幅23cm、制作年代は室町時代と思われ、60年に一度開帳される秘仏である。昭62・3・31市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="130"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>130</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造四天王像</名称><名称_カナ>モクゾウシテンノウゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>真福寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市泉町4-17</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>真福寺</所有者等><文化財指定日>1968-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代の宇都宮の仏師、高田運刻の作品。四天王が揃う貴重なもの</概要><概要_英語 /><説明>この木造四天王像は、真福寺の本堂に安置されている。持国天（じこくてん）・多聞天（たもんてん）・広目天（こうもくてん）・増長天（ぞうちょうてん）の4体がそろっているのは珍しい。台座に「嘉永五年壬子年九月二日、宇陽大仏師高田法橋運刻同豊吉」の銘があり、宇都宮の仏師高田運刻の作品であることがわかる。四天王とは、帝釈天（仏教を守護する天上界の王）に仕え、四方を守る神のことである。昭和43・3・25市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="131"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>131</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造釈迦如来坐像</名称><名称_カナ>モクゾウシャカニョライザゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>興禅寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市今泉3丁目5-13</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>興禅寺</所有者等><文化財指定日>1958-01-24T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>興禅寺は1314年、宇都宮8代城主貞綱が開いた寺で、かつては広大な境内に多くの塔頭が並んでいた。この仏像は、南北朝時代の作であるが、彫りが深く鋭いなど鎌倉彫刻の作風を残している。</概要><概要_英語 /><説明>この仏像は、寄木造り、玉眼で、目をやや細め、わずかに首を前に傾けている。南北朝時代の作であるが、彫りが深く鋭いなど鎌倉彫刻の作風を残している。仏像の底面に、北朝の年号「文和元年」と作者名「院吉・院広・院遵（いんきち・いんこう・いんじゅん）」が刻まれている。興禅寺は1314（正和3）年、宇都宮8代城主貞綱が開いた寺で、かつては広大な境内に多くの塔頭（たっちゅう〔寺の境内に建てた小院〕）が並んでいた。昭和33・1・24市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="132"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>132</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造聖観世音菩薩立像</名称><名称_カナ>モクゾウショウカンゼオンボサツリュウゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市西刑部町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>駆</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1958-04-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>大関観音と呼ばれる、平安時代終わりから鎌倉時代様式の完成度の高い仏像</概要><概要_英語 /><説明>聖観音菩薩は、衆生（しゅじょう）が救いを求める声を聞くと、自在にこれを救う菩薩として厚く信仰されてきた。本来は勢至菩薩（せいしぼさつ）とともに阿弥陀如来の脇時（きょうじ）となるが、独立して信仰される場合も数多い。この像は一般に大関観音とも呼ばれ、銘文はないものの平安時代終わりから鎌倉時代の様式の作で、完成度の高い堂々たる仏像である。昭和33・4・25県指定＜有形文化財（彫刻）＞&lt;BR&gt;※ 通常、非公開</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="133"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>133</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造聖観世音菩薩立像</名称><名称_カナ>モクゾウショウカンゼオンボサツリュウゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>桂林時</場所名称><住所>栃木県宇都宮市清住1丁目3-37</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>桂林時</所有者等><文化財指定日>1975-03-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>桂林寺の本堂に安置されている江戸時代作の仏像。毎年3月18日の縁日に限り開帳している。</概要><概要_英語 /><説明>この像は、桂林寺の本堂に安置されており、右足に体重をかけ、左足を遊ばせている珍しい立ち姿である。顔は面長で、玉眼、目尻には藍が加えられ、寄木造りである。ほっそりとした体つきで、全体として優美な、江戸時代の仏像の特色を表している。秘仏であるが、毎年3月18日の縁日に限り開帳している。昭和50・3・25市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="134"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>134</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造聖観世音菩薩立像</名称><名称_カナ>モクゾウヒショウカンゼオンボサツリュウゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市茂原町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1958-09-08T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>茂原観音と呼ばれ、60年に一度開帳される室町時代制作の仏像。</概要><概要_英語 /><説明>聖観音菩薩は、衆生（しゅじょう）が救いを求める声を聞くと、自在にこれを救う菩薩として厚く信仰されてきた。本来は勢至菩薩（せいしぼさつ）とともに阿弥陀如来の脇時（きょうじ）となるが、独立して信仰される場合も数多い。この像は一般に茂原観音と呼ばれ、室町時代の制作と考えられる。60年に一度開帳される。市指定＜有形文化財（彫刻）＞&lt;BR&gt;※ 通常非公開（60年に一度開帳）</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="135"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>135</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造聖観世音菩薩立像</名称><名称_カナ>モクゾウヒショウカンゼオンボサツリュウゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市山本1丁目</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1972-11-06T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代に造られた寄木造り金箔塗りの仏像。恵心僧都の作という言い伝えがある。</概要><概要_英語 /><説明>観世音菩薩立像は、人々の求める声に応じて直ちに救いの手をさしのべてくれる菩薩とされる。この像は江戸時代に造られ、左手に蓮華を持ち、金箔を塗った寄木造りで、慈悲相と呼ばれるやさしい顔つきから多くの人々の信仰を集めている。作者は、恵心僧都（えしんそうず）という伝承がある。昭和47・11・6市指定＜有形文化財（彫刻）＞&lt;BR&gt;※ 通常非公開。1年に1度開帳されます。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="136"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>136</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造不動明王坐像</名称><名称_カナ>モクゾウフドウミョウオウザゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>多気山持宝院</場所名称><住所>栃木県宇都宮市田下町564</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>多気山持宝院</所有者等><文化財指定日>1957-06-03T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>平安時代後期の作と推定される不動明王坐像〔宇都宮市指定有形文化財〕</概要><概要_英語 /><説明>この像は、忿怒形（ふんぬぎょう（怒った様子））でありながら顔面筋肉の怒張、隆起などはみられず、力を内に秘めた姿は、密教の主尊である大日如来の使者とされ、五大明王（不動・降三世・軍茶利・大威徳・金剛夜叉）の中で最高位にある不動明王の威厳を示している。寄木造りで、平安時代後期の作と推定される。見開いた大きな玉眼は印象的だが、これは1389（康応元）年の修理の際に入れられた可能性が高く、本来は彫眼であったと考えられている。昭和32・6・3市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="137"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>137</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造文殊菩薩坐像</名称><名称_カナ>モクゾウモンジュボサツザゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>広琳寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市平出町1673</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>広琳寺</所有者等><文化財指定日>1972-12-08T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>右手に智剣、左手に経巻を持つ文殊菩薩で、江戸時代の作といわれる。</概要><概要_英語 /><説明>文殊菩薩は、通常は普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍（きょうじ）であり、知慧と戒律を司るとされてきた。この仏像は独尊形で、右手に智剣を、左手に経巻を持ち、江戸時代に寄木造りによって製作されたものと考えられる。昭和47・12・8市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="138"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>138</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造薬師如来坐像</名称><名称_カナ>モクゾウヤクシニョライザゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>医王寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市石井町122</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>医王寺</所有者等><文化財指定日>1967-03-25T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>南北朝時代から室町時代の作と考えられ、漆箔（しっぱく）は落ちているが、体躯や面貌はよく残されている。</概要><概要_英語 /><説明>薬師如来は、人間の病苦を癒し内面の苦悩を除くといわれる仏で、薬師瑠璃光如来とも医王仏とも呼ばれる。この仏像は、南北朝時代から室町時代にかけて製作されたものと考えられ、寄木造りで、漆箔（しっぱく）が落ちているものの、体躯や面貌はよく保存されている。昭和42・3・25市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="139"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>139</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>木造薬師如来立像</名称><名称_カナ>モクゾウヤクシニョライリュウゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>能満寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市駒生町1870</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>体</単位><法人番号 /><所有者等>能満寺</所有者等><文化財指定日>1957-01-12T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>平安時代中期に作られた市内最古の仏像。元々は下荒針町の薬師堂に安置されていたが、修理を機に能満寺へ移された。</概要><概要_英語 /><説明>この像は、カヤの一木造りで、重みのある堂々とした姿や、穏やかで静かな表情などは平安時代初期の作を思わせるが、眼の表情や衣の襞（ひだ）は丸みを帯び、両袖が波打っていることから、平安時代中期の作で、現在、市内では最も古い仏像である。元々は市内の下荒針町羽下（はじた）の薬師堂に安置されていたが、1994（平成6）年、破損していた足や両手首の修理を機に、能満寺へ移された。昭和32・1・12市指定＜有形文化財（彫刻）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="140"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>140</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>薬師堂</名称><名称_カナ>ヤクシドウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>清泉寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市下小倉町1529</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>清泉寺</所有者等><文化財指定日>1993-10-01T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>堂内に薬師如来像が安置され、その製作が1752年と墨書きされていることから、堂も同時期の建立と思われる。</概要><概要_英語 /><説明>薬師堂は、堂内に安置している薬師如来像の制作年代が1752（宝暦2）年と墨書されていることから、ほぼ同時期に建立されたものと思われる。建物の構造は軒が二重垂木（たるき）、組物として平三つ斗（ひらみつと）組になっており、柱は欅の丸柱で、正面向拝の虹梁（こうりょう）には薬壺を持った竜の彫刻があり、内部天井は格天井づくりになっている。＜平成5・10・1市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="141"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>141</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>薬師如来像</名称><名称_カナ>ヤクシニョライゾウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称>清泉寺</場所名称><住所>栃木県宇都宮市下小倉町1529</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>駆</単位><法人番号 /><所有者等>清泉寺</所有者等><文化財指定日>1976-09-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>堂内に薬師如来像が安置され、その製作が1752年と墨書きされていることから、堂も同時期の建立と思われる。</概要><概要_英語 /><説明>薬師堂は、堂内に安置している薬師如来像の制作年代が1752（宝暦2）年と墨書されていることから、ほぼ同時期に建立されたものと思われる。建物の構造は軒が二重垂木（たるき）、組物として平三つ斗（ひらみつと）組になっており、柱は欅の丸柱で、正面向拝の虹梁（こうりょう）には薬壺を持った竜の彫刻があり、内部天井は格天井づくりになってる。＜平成5・10・1市指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="142"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>142</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>谷口山古墳</名称><名称_カナ>ヤグチヤマコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称>インマヌエル教会</場所名称><住所>栃木県宇都宮市長岡町1258-4</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>インマヌエル宇都宮基督教会</所有者等><文化財指定日>1991-11-27T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>6世紀後半（古墳時代後期）築と推定される、横穴式石室を持つ円墳</概要><概要_英語 /><説明>谷口山古墳は、6世紀後半（古墳時代後期）、田川右岸の宇都宮丘陵南端部に築かれた横穴式石室を持つ円墳と推定される。横穴式石室が未開口であったため、人骨及び副葬品は、ほぼ元の位置のまま確認され、当時の埋葬形態をうかがい知ることのできる貴重な古墳である。平成3・11・27市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="143"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>143</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>八坂神社の神楽</名称><名称_カナ>ヤサカジンジャノカグラ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定無形文化財</文化財分類><種類>芸能</種類><場所名称>八坂神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市今泉4丁目16-28</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数] xsi:nil="true" /><単位 /><法人番号 /><所有者等>八坂神社</所有者等><文化財指定日>1968-03-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代から行われている太々神楽で、毎年、春祭、秋祭に奉納される。</概要><概要_英語 /><説明>この太々神楽は、いわゆる岩戸神楽（いわとかぐら）の一種で、元は神田流より発していると思われるが歴代八坂の祠宮がその保護にあたったので、神明流又は葭田（よしだ）流と称するに至った。この神楽の最も古いものは、記録にある1800（寛政12）年2月であるが、これ以前から連綿として引き継がれ、今日に及んでいるとも伝えられている。昭和43・3・22市指定＜無形文化財＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="144"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>144</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>屋台</名称><名称_カナ>ヤタイ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市伝馬町</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>台</単位><法人番号 /><所有者等>地域共有</所有者等><文化財指定日>1955-07-26T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代末期に造られた華麗な彩色の彫刻屋台。普段は解体し、祭りの時に組み立てられる。</概要><概要_英語 /><説明>この屋台は、4輪の車が付き、屋根の上には、龍が今にも飛び出しそうな姿で乗り、全体に「牡丹に唐獅子」「松に鳳凰」など、華麗な彫刻がはめこまれている彩色の彫刻屋台である。江戸末期の代表的な彫刻師である磯邊儀兵衛（いそべぎへえ）が造ったもので、屋根の裏側には「嘉永五年（1852）壬子九月吉祥日」の墨書銘がある。保存状態がよく、普段は解体して収納し、祭りの時などに組み立てる。規格は、縦409cm、横164cm、高さ342cm＜有形文化財（工芸品）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="145"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>145</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>雷電山古墳</名称><名称_カナ>ライデンヤマコフン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市岩本町475他</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>基</単位><法人番号 /><所有者等>宇都宮市</所有者等><文化財指定日>1977-12-12T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>6世紀半ば頃のと思われる前方後円墳で、北山古墳群のひとつ</概要><概要_英語 /><説明>雷電山古墳は、前方部を南に向けて築かれた前方後円墳で、北山古墳群の一つである。古墳の上に河原石が葺かれ、後円部の頂には雷神を祀った祠（ほこら）が安置されている。明治時代の半ば頃に発掘調査が行われたが、出土した遺物については不明である。この古墳は埋葬施設である横穴式石室の特徴から、6世紀半ば頃に築かれたものと思われる。昭和52・12・12市指定＜記念物（史跡）＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="146"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>146</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>立伏のツバキ</名称><名称_カナ>リュウブクノツバキ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>県指定天然記念物</文化財分類><種類 /><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市立伏町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>本</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>1972-01-21T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>推定樹齢約450余年、高さ約8mの濃赤色一重のヤブツバキ</概要><概要_英語 /><説明>推定樹齢約450余年、高さ約8m、胸高周囲約2m、枝張り東西約8m・南北10.4mの、立伏の斎藤家の屋敷跡にある、濃赤色一重のヤブツバキで、南側の水田に面している部分のみが開けているため、枝は主として南側に向かい張り出している。＜昭和47・1・21県指定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="147"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>147</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>渡邊家住宅（主屋、西の蔵、表門）</名称><名称_カナ>ワタナベケジュウタク（オモヤ、ニシノクラ、オモテモン）</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市認定建造物</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称 /><住所>栃木県宇都宮市大谷町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>3</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>2003-12-01T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江戸時代、この地域の名主を務めた民家の屋敷構えを残し、様々な歴史的価値を有している。</概要><概要_英語 /><説明>渡邊家の屋敷内には、主屋、大谷石蔵（東西2棟）、表門、納屋があるほか、裏山には天神様と呼ばれる神社があるなど、かつてこの地域の名主を務めた民家の屋敷構えを今に残している。地域的特色を有し、歴史的景観に寄与するなど、様々な歴史的価値を有するこの屋敷は、西石蔵内に記される墨書から、1769（明和6）年以前のものと推測でき、また、茅葺屋根の主屋や、大谷石製の瓦を葺く門には、1868（慶応4）年の世直し一揆の襲撃による刀傷が残るなど、歴史資料としても大変貴重な建造物となっている。＜平成15・12・1市認定＞</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
<row _id="148"><都道府県コード又は市区町村コード>92011</都道府県コード又は市区町村コード><NO>148</NO><都道府県名>栃木県</都道府県名><市区町村名>宇都宮市</市区町村名><名称>智賀都神社本殿　附　宮殿、木札</名称><名称_カナ>チカツジンジャホンデン　ツケタリ　クウデン、キフダ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>市指定建造物</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>智賀都神社</場所名称><住所>栃木県宇都宮市徳次郎2478</住所><方書 /><緯度>36</緯度><経度>139</経度><電話番号 /><内線番号 /><員数[数]>1</員数[数]><単位>棟</単位><法人番号 /><所有者等>智賀都神社</所有者等><文化財指定日>2022-02-17T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>智賀都神社の本殿であり、17世紀後半～18世紀前半の県内地域の典型的な特徴を現在に伝える建造物</概要><概要_英語 /><説明>本殿は、桁行３間、梁間２間の母屋に、１間の向背を設けた三間社流造であり、屋根の葺き替えなど一部修繕は行われているが、創建当時の形をよく残している。</説明><説明_英語 /><URL /><備考 /></row>
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